MAZE ~迷路~
「絶対つまらない。」
 もう耳にたこが出来るほど繰り返していた言葉を絢子はもう一度口にした。
「良いじゃない。ティンカーベルって美人なのよ。」
 美波は言うと、絢子に笑って見せた。
「だって、美波がウェンディーなのに、なんで私がピーターパンじゃなくて、ティンカーベルなのよ。」
 絢子は言うと、口を尖らせた。
「良いじゃない。うちの部は宝塚じゃないって父兄がうるさいんだし。部長がピーターパンで問題ないと思うけど。」
 美波は言うと、絢子の方を向いた。
「じゃあ、美波は部長の、清水(しみず)先輩の腕に抱かれたいんだ。」
 人が聞いたら誤解しかねない表現をする絢子に、美波は顔をしかめた。
「なに言ってんの。あーや、おかしいよ。」
 美波が言うと、絢子は身を乗り出すようにして話し始めた。
「だって、そうじゃん。美波をウェンディー役に推しておいて、自分がピーターパンに立候補するなんてさ、美波を腕に抱きたいからに決まってるじゃん。今までは、ずっと私が美波の相手役だったのに。自分は卒業だからなんて、変じゃない。下心見え見え。やーらしぃ。」
 絢子の熱弁に、美波は肩をすくめて見せた。
「べつに、私はウェンディーやりたいわけじゃないから、ティンカーベルと代わってもいいよ。」
 美波の言葉に、絢子は再び気分を害したようだった。
「なんで私が、美波に『死んじゃえば良いんだわ』なんて言葉を清水先輩のために言われなきゃならないのよ。」
 絢子の頭の中では、完全に現実とお芝居の中の話がごちゃ混ぜになっているようだった。
「じゃあ、そんなに言うなら、裏方に回って、役を降りてもいいよ。」
 美波が言っても、絢子の勢いは止まらなかった。
「だいたい、何で私が、清水先輩のために、美波に『死んじゃえ』なんて言わなきゃいけないのよ。腹立たしい。ムカツクったらありゃしない。」
 絢子は言うと、今にも通学鞄を放り投げそうになった。
「あーや、もういいよ。」
 美波は言うと、絢子の腕をひき寄せた。
「美波。」
 絢子はちょっと照れくさそうにしながら、美波と腕を組んで歩き始めた。


 結局、絢子の怨念がきいたのか、父兄からも演劇の練習が男女交際を促すことがないようにと、問題の場面だけ立ち稽古をし、文化祭の当日だけ実演する事になった。


「ウェンディーなんて、大っ嫌い。死んじゃえば良いんだわ。私からピーターを盗むなんて。嫌いよ。」
 絢子は何の躊躇も見せずに、ピーターパン役の清水を目の端で睨みつけながら、そっぽを向いて台詞を言い放った。
「ティンク、何を言ってるんだ。僕とウェンディーはただの仲良しだよ。ティンクだってウェンディーと仲良くすれば、一緒に遊べるじゃないか!」
 本当ならば、ウェンディーを攻撃しそうなティンクからウェンディーを守るために、ピーターがウェンディーを腕に抱くシーンだったが、清水はじっと堪えて立ち稽古を続けた。
「そうよ、ティンカーベル。私だって、貴方と仲良くしたいわ。」
 美波が言うと、絢子はいかにティンカーベルがウェンディーを嫌いか見せ付けるような怖い目をしてその場から走り去っていった。
「ティンカーベル!」
 絢子を追いかけようとする美波に、ピーターパンが頭を振って見せた。
「ティンクの奴、最近ずっと変なんだ。」
「私、嫌われてるのね。」
 美波が俯いたところで、『はい、そこまで』という声がかかった。
「いよいよ、明日だからな。今日は、みんな早く帰って休むように。」
 顧問の言葉を聞きながら、美波はピーターパンに背を向けると、絢子のところに走っていった。
「あーや、帰ろう。」
 美波が言うと、絢子は美波の肩に手を置きながら舞台の袖を後にした。


 翌日は秋晴れの、気持ちの良い日だった。演劇部の発表は、毎年恒例の午後一番の出し物になっていた。朝からメーキャップを済ませた美波は、かつらの変わりに自分の髪の毛をウェービーに纏め上げるのに時間をかけていた。
 一方、ティンカーベルに扮する絢子は、着ぐるみになったように感じながら、肌色のレオタードにほぼ全身を包み込み、その上から露出度が高く見えるティンカーベルの水着みたいな衣装と大きな羽を背中に着けていた。
「美波、可愛い。」
 絢子は自分の支度をすませると、美波が支度するのをじっと隣で見ていた。
「お弁当ゲットしてくるよ。」
 絢子は言うと、大きく出っ張る羽を痛めないように注意しながら控え室を後にした。


「ティンカーベル素敵!」
 後ろから聞こえてきた声に、絢子は流し目を送った。
「ああ、ピーターパンは絶対に絢子だと思ってたのに。」
 その声に、絢子は立ち止まって振り向いた。
「諦めな。俺は美波のものなんだ。それに、余命いくばくもない可愛そうな男から、役を奪うほど人でなしじゃないよ。」
 絢子が言うと、何かが頭にぶつかった。
「おい、誰がくたばりぞこないだ? ティンカーベルは可愛い妖精なんだからな。もう少し、おとなしくしろよ。」
 清水の声に、絢子は肩をすくめて見せた。
「先輩、心配しないでください。今年も、私がヒーローですから。」
 絢子は言うと、お弁当を取りに走っていった。
「あいつ、なに考えてるんだ?」
 清水は呟くと、弁当箱を片手に控え室に戻っていった。


 二人分のお弁当をゲットした絢子は、足早に美波の待つ控え室に戻っていった。
「美波、そぼろ弁当ゲットした。茶飯がおいしかったよね、ここのお弁当屋さん。」
 絢子は言うと、美波に弁当箱の蓋を開けてから手渡した。
「なんだか、緊張してきちゃった。」
 美波が言うと、絢子は驚いた表情を浮かべた。
「なんで? いつもの事なのに。」
 絢子は言うと、茶飯を口に運んだ。
「だって、いつもはあーやが相手でしょ。呼吸も合ってるし、何か起こっても、すぐに対応できるけど、なんか不安で。それに例のシーン、ちゃんと稽古もしてないから、ちょっと不安。」
 美波の言葉に、絢子はにっこりと笑って見せた。
「大丈夫。先輩には警告しておいたから。勝手はさせないよ。」
 絢子は言うと、美波に食べるように促した。

(・・・・・・・・そうだ、あーやって、もともと先輩嫌いだったのよね・・・・・・・・)

 美波は考えながら、そぼろが落ちないように、工夫しながら茶飯を口に運んだ。

☆☆☆

 舞台は美波の不安をよそに、順調に進んでいった。そして、いよいよ問題のシーンが迫ってきた。
 それは、ピーターと喧嘩をして姿を消したティンカーベルをウェンディーとピーターが探すシーンだった。
「ピーター、いたわ。ティンカーベルよ。」
 ウェンディーは言うと、ピーターを手招きして呼んだ。
「ティンク、心配したんだよ。」
 ピーターは言うと、ゆっくりとティンカーベルに歩み寄っていった。
「さあ、みんなで仲良くしよう。」
 ピーターの言葉に、岩場に姿を隠していたティンカーベルは思いっきり良く立ち上がった。
「ピーターなんて大っ嫌い。死んじゃえば良いんだわ。ウェンディーは私のものよ。嫌いよ。」
 絢子は、何の躊躇も見せずに台詞を言い放つと、美波の事を抱きしめた。
「ティンク、何を言ってるんだ。僕とウェンディーはただの仲良しだよ。ティンクだってウェンディーと仲良くすれば、一緒に遊べるじゃぁ・・・・・・・・。」
 そこまで台詞を言ってから、清水は初めて異変に気がついたようだった。
「ティンカーベル、私は・・・・・・・・。」
 美波は、台詞が続かず、そのまま沈黙してしまった。
「ティンカーベル!」
 清水はいうと、美波を奪い返そうとしたが、絢子はそんな清水をあざ笑うように、美波の手を引いて舞台の袖をめざした。
「じゃあねピーター。私、ウェンディーと仲良くするわ。」
「ティンク、ウェンディー。・・・・・・おい!」
 あわてる清水を残し、絢子と美波は舞台を後にした。
 収集のつかなくなった舞台は、臨時にカーテンを下ろし、ナレーションでごまかし、そのまま終演という事になってしまった。

(・・・・・・・・あの後、先生にすごく怒られて、先輩もすごく怒ってたっけ。でも、私がティンクって、あーやの事を呼ぶようになったのは、あれ以来だっけ・・・・・・・・)

 そんな事を考えていた美波は、自分が夢を見ている事に気がつきはじめていた。

(・・・・・・・・あーや、ティンクに逢いたい・・・・・・・・)

『ティンク、ティンク!』
 美波は心の中で絢子を呼び続けた。


 突然、美波の目の前に荒れる海原を背負った崖が広がった。
 崖の手前には、見覚えのある赤い車が止まっていた。そして、絢子がその車から降りてきた。
『美波、私、もう一度、美波に逢いたい・・・・・・。』
 絢子は言うと、その姿が崖の向こうに消えていった。
 実際には見た事もない場所のはずなのに、まるでそこに居たかのように、崖から落ちていく絢子の姿がリアルに見えた。
「ティンク!」
 搾り出すようにして、美波は絢子の事を呼んだ。

☆☆☆
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