MAZE ~迷路~
「美波、美波、しっかりするんだ。」
 自分を呼ぶ声に、美波はゆっくりと目を開けた。
 心配げな表情を浮かべた智が、美波の事を見つめていた。
「智・・・・・・。」
「美波、大丈夫か?」
 智の声を聞きながら、美波は初めて自分が泣いている事に気がついた。
「わたし・・・・・・。」
 その先は、言葉にならなかった。
「寝るまで傍にいるよ。きっと、疲れているんだよ。」
 智は言うと、美波の事を抱きしめた。
「智、私、ティンクの、絢子の夢を見たの。」
 美波が言うと、智は美波を抱く腕に力をこめた。
「美波、俺が一緒にいるから、心配しなくて良い。ずっと、傍にいるから。」
 『絢子』の名は、何度も耳にした事があった智だったが、美波の亡くなった親友という以外には、詳しい事は何も知らされていなかった。
「美波、疲れてるんだよ。」
 言い聞かせるようにして智が言うと、美波は頭を横に振った。
「ちがう、違うの智。」
 美波は言うと、智の事を見つめた。
 智は、美波の用意した、お揃いのパジャマを着ていた。
「パジャマ、着てくれたのね。」
 美波は、少し表情をほぐして言った。
「ありがとう。お礼を言いに来たんだけど、美波もう寝てたから・・・・・・。明日、もう一度、お礼を言うつもりだったんだ。パジャマありがとう。」
 智は言うと、美波の額にキスをした。
「あのね、智、一生に一度のお願いがあるの。」
 美波が言うと、智は背中を冷たいものが流れていくのを感じた。
「美波、まさか、結婚したくないなんて、言うわけじゃないよな。」
 智は先手を打って言うと、美波の瞳を見つめた。
「ごめん、智。私、このままじゃ、幸せになれない。」
 美波は言うと、両手で顔を覆った。
「美波、どうして・・・・・・。ずっと上手く行ってたじゃないか。なのに、なんで・・・・・・。」
 智は言うと、美波の瞳を覗きこんだ。
「私、ティンクのこと、絢子の事をこのままにして、一人だけ幸せになんてなれない。」
 美波の言葉に、智は結婚の話が全て流れてしまったわけではない事に、少しだけほっとした。しかし、絢子と美波の詳しい関係を知らない智としては、釈然としないものがあった。
「美波、もっと詳しく話してもらえない?」
 智の言葉に、美波は頷いて見せた。
「ティンクは、私の高校時代からの親友なの。彼女は、私がイギリスに留学している間に、事件に巻き込まれて、亡くなったの。」
 ゆっくりと話し始めた美波の言葉に、智は静かに耳を傾けた。
「事件の事や、細かい事は、私は向こうにいたから、ほとんど知らされてないの。どうして事件に巻き込まれたのか、何があったのか、お墓がどこにあるのかも知らされていないの。」
 そこまで聞いて、智は初めて敦がほのめかしていた智の知らない美波の事という意味が分かり始めた気がした。
「事件って事は、犯人がいて、被害者がいて。つまり、その被害者が絢子さんって事になるわけだ・・・・・・。」
 智が言うと、美波は頷いて見せた。
「事件は解決して、犯人は捕まってるの?」
 智が言うと、美波の表情が曇り始めた。
「だれも教えてくれないの。本当に何があったのか。」
「でも、新聞とか、週刊誌とか・・・・・・。」
 智が言うと、美波は頭を横に振って見せた。
「近くの図書館の新聞もみんな切り抜かれてて、週刊誌なんかも、ページが切られてたり、バックナンバーも全部売り切れなの。まるで、だれかが、必死に隠してるみたい。」
 美波の言葉に、今度は智が頭を横に振った。
「それじゃあ、探しようがないか。敦は教えてくれないの? 美波の頼みなら、何でも聞いてくれそうだけと・・・・・・。」
「だめ。みんなで協力して隠している気がするの。」
 美波の様子に、智は力になりたいと思う反面、美波に協力する事が本当に美波の為になるのか、不安になり始めた。
「このままじゃ、私、ずっと過去に縛られて、幸せになれない気がするの。だから、智、お願い。私、真実が知りたいの。どんな事でもかまわないから、真実が知りたいの。あの日、ティンクの身に何が起こったのか調べてくれない? 智にだったら、敦もママも話してくれると思うの。お願い。」
 美波の言葉は、智にとっては脅迫に等しかった。『調べてくれないのなら、智と結婚できない』と、言われているように智は感じていた。
「わかったよ。出来る限り聞き出してみる。でも、敦は口が堅いから、僕が聞いても教えてくれないかもしれないし、お母さんにいたっては、まったく相手にしてくれないかも。もし、頑張っても駄目だったら、その時は・・・・・・。」
「その時は、諦める。」
 美波の言葉に、智はほっと息をついた。
「さあ、もう安心して休めるだろ。」
 智は言うと、美波をベッドの中にしまいこむようにして寝かせた。
「寝るまで、ずっと傍にいるから。」
 智の言葉に、美波は無言で頷いて見せた。
「お休み、美波。」
 智は言うと、美波の手をしっかりと握った。
「おやすみなさい。」
 美波は言うと、静かに瞼を閉じた。
 美波が眠りについたのを確認してから、智は自分の部屋に戻っていった。

☆☆☆

『美波、美波、目を開けてごらん。』
 絢子の声に、美波はゆっくりと目を開けた。
 宝石をちりばめたような街の明かりが足元に広がり、夜空では星達が煌いていた。
「ティンク、ここは・・・・・・・・。」
 美波が問いかけようとすると、絢子は頭を横に振った。
『体が重いから、美波のところまで持って来れないの。でも、美波に逢いたかったから。』
 絢子は言うと、美波の事を抱きしめた。
 透き通るような絢子の体は、包み込むようにして美波の事を抱きしめていた。
「ティンク、私も逢いたかった。」
 美波は言うと、絢子の体を抱きしめ返そうとしたが、美波の腕は絢子の体を通り抜けてしまい、抱きしめる事は出来なかった。
『美波、逢いたい。私を見つけて・・・・・・・・。』
 絢子の言葉に、美波は耳を疑った。
「ティンク、どこにいるの? 私、どこまでも逢いに行くから、教えて。ティンク!」
 その瞬間、絢子の体が揺らめいた。まるで、煙が揺らめくように、ゆらゆらと揺らめいた後、絢子は急に不安そうな表情を浮かべ始めた。
『帰らなくちゃ。私、美波を呼んじゃいけなかったんだ。忘れて。帰らなくちゃ。』
 そう言っている間に、絢子の体は再び揺らめき始めた。
『美波、早く目を閉じて。遠すぎて、美波を体まで戻す力が・・・・・・。』
 絢子の声は途切れ、美波は急激な落下感に襲われた。

(・・・・・・・・落ちる・・・・・・・・)


☆☆☆

「美波、美波!」
 智の声と共に、自分の叫び声に気付いた美波は、慌てて言葉を飲み込んだ。
「美波、どうしたんだ、眠ったと思ったら・・・・・・。」
 続けようとした智は、美波が震えている事に気がつき、そこで言葉を切った。
「悪かった。一緒に寝たいって言う美波の申し出を断った、僕が悪かったよ。一緒に寝よう。」
 智は言うと、震える美波を抱き上げた。
「ごめん。そんなに不安だったなんて、気がつかなかった。」
 智は美波を自分の部屋のベッドに寝かせると、自分も隣に横になった。
 美波の体は、氷のように冷たくなっていた。
「体が冷たいよ。」
 智は言うと、美波をしっかりと抱きしめた。
「朝まで一緒にいるから。」
 智の言葉に、美波は安心したように眠りについた。


 翌日、目覚めた美波は、いつもの元気な美波に戻ったように見えた。
 二人は、残りの一日半をゆっくりと過ごした後、再び智の車で家路についた。幸いにも、あれからは、美波もうなされる事もなく、智の理性も吹き飛ばずに旅行を終えることが出来た。

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