不器用な僕たちの恋愛事情
その頃、三嶋家では亜々宮(あーく)の静寂をつんざく声がリビングで上がっていた。
その声に度肝を抜かした父が、ビールのグラスをひっくり返し、母が皿を取りこぼす。天駆はソファーからずり落ちそうになっていた。
スマホを握る亜宮の手が、プルプルと震えてる。
数分前、友人からラインが届いた。
SNSでA・Dを検索したら、面白いモノが見られるという内容だった。
亜々宮は首を傾げながら検索していたのだが、アップされたばかりの動画に驚愕を隠しきれなかった。
そこで歌っているのは、紛れもなく実兄の十玖だ。
亜々宮のスマホから聞き覚えのある声がして、みんながそれを覗き込んだ。
「十玖じゃん」
「そのようだね」
天駆が呆気に取られて言うと、父も同様に呟いた。
「萌を押し付けて、何かコソコソしてんなぁと思ったらこれか。萌がいたら、大騒ぎだな」
一日萌に振り回された天駆が、疲れの滲んだ声で言った。
「これ晴くんたちのバンドなの?」
生来の人懐っこさですっかり馴染んでる晴日である。
十玖を勧誘していたのは周知の事実であるが、なんとも急展開で、今ひとつ頭が着いていかない。
「あれだけ渋っていたくせに、結局入ってんじゃん。勿体ぶってヤな奴だなぁ。ああ。どうしよ。明日ガッコ行きたくねぇ」
亜々宮が頭を抱えた。
十玖は卒業した今でも密かに人気がある。その弟だと知る者も多く、騒がれるのは必至だった。
「我が息子ながら格好いいね」
「どこがっ!」
すっとぼけた声音で言う父に、亜宮が噛み付く。
「最悪だこいつ。帰って来たらぜってぇシメる」
「力で十玖に勝てねぇだろ」
「うるさいバカ天駆」
怒り心頭に発した亜々宮がスマホを床に投げつけて、リビングを出ていく。その背中に、母が怒鳴った。
「スマホ壊れても買ってやらんからね!」
その店は大通りから少し外れた路地の地下にあった。
古めかしい建物だ。地下の入口にはブラックボードが置かれ、今日のおすすめが書かれている。
ビルに横付けされた車からA・Dのメンバーが下り、勝手知ったる風に地下に吸い込まれていく彼らの後を十玖も付いて行く。その後ろを筒井と美空が追いかける。
中は小綺麗なダイニングレストランだった。
落ち着く光量にエスニックな調度品。広いフロアにはカウンターとテーブル席があり、その先に連なる個室。
メンバーを見て、何も言わず個室に案内するフロアスタッフ。
御用達の店のようだ。
腹減ったと口々に言いながら、次々と注文していく。十玖がその様に気後れしていると、筒井が話しかけてきた。
「どんどん好きなもの頼んで。どうせコイツらが平らげるんだから、遠慮しないで」
とは言え、相当数を注文しているので、新参者は頼みにくい。
が、その心配は不要だった。
運ばれてくるそばから、皿が片付いていく。
すごい勢いで食べる彼らは、ここ何日も食べていなかったかのようだ。
勢いに圧されて、恐る恐る口に運ぶ十玖に、美空が取り分けた牛ローストの皿を差し出した。
「さっきから肉に有りつけてないでしょ」
確かに野菜ばかり食べていた。
「あ……ありがとう」
初めて、美空と会話した。しかも彼女から話しかけてくれるなんて、今までなら絶対に有り得ないことだった。それだけでお腹いっぱいのような気がしてくる。
それからも美空は十玖のために取り分けてくれた。
嘘のように優しくて、十玖は夢心地だった。
ひとしきり飲んで食ってして、ようやく満たされたのだろう。大人しくなったメンバーを一巡し、十玖を見据えた筒井が口を開いた。
「やってみてどうだった?」
飲みかけたルイボスティーのグラスをテーブルに戻す十玖に、筒井は続け様に言う。
「キレキレだったわよね。つられてみんなキレキレで、実に楽しかったわ」
「はあ」
実はあまり記憶になかった。シャウトした瞬間、頭の中のいろんなものが弾け飛んでしまったから。
十玖の気の抜けた返事に苦笑しながら、筒井はカバンの中から茶封筒を取り出し、十玖に差し出す。
「何ですか?」
「契約書。親御さんの了承もちゃんと得てね。トラブルは嫌だから」
筒井は有無を言わせないぞと、気合の入った笑顔を十玖に向ける。
反論しようとする十玖に、更なる高圧的な笑。
静かな拮抗がしばらく続いたが、それを破ったのも筒井だった。
「あんなライヴ見せられて、やっぱやんないとかって無しよ。生殺しよ生殺し! そんなの結婚チラつかせておいて、煙に巻く男だけで十分足りてるわ」
「筒井さんの結婚の話は今どうでもいいから」
「なにケント。あたしにケンカ売ってる!?」
「今は十玖の話でしょ。落ち着いてよ。酒が入るとすぐ感情的になるから呆れられるんでしょうが」
「やっぱあたしにケンカ売ってるわね。クソガキー」
真向かいに座る謙人に、おしぼりを投げつける。謙人は容易くキャッチすると、歯を見せて笑う。筒井の神経を逆なでする行為に、誰も何も言わないのは日常茶飯事か。
晴日が肩先で十玖を突く。
「俺はやっぱり十玖とやりたい。腹決めろよ」
晴日の真摯な眼差し。
魂が身体から解放されたような高揚感。あんなこと初めて感じた。
(けど……)
チラリと美空を見る。目が合って、咄嗟に逸らした。
美空がたちまち鬼の形相で十玖を睨むのを、晴日は見逃さなかった。
十玖に耳打ちする。
「美空を怒らせることしたか?」
「どうでしょ?」
「すごい顔で睨んでるぞ?」
恐る恐る美空を見る。
確かに上目遣いで、睨み据えている。美空に睨まれる事にかけてはスペシャリストの十玖でも、未だかつてない凄みにわずかに怯んだ。
「えっと……ごめんなさい?」
取り敢えず、美空に謝ってみたものの、火に油を注いだだけだった。
「その疑問符は何? 何に対して謝ってんの? ふざけてるのかしら?」
「分からないけど、何か怒らせるような事をしたんだよね?」
「したんだよね? また疑問符! 分かりもしないことを謝られたって、こっちは腹立つだけなんだけど! 三嶋って昔っからそう! あたしに言いたいことがあるんなら、はっきり言えば!?」
「美空。落ち着け?」
ぶち切れた妹を宥めようと声をかけたが、ひと睨みされて言葉を飲んだ。
はっきり言えば、と美空はブチ切れてるが、十玖の気持ちも知ってる晴日としては居たたまれない。
謙人たちも美空の剣幕に固唾を飲んで見守っている。
美空の積年の鬱憤晴らしに、口を挟むものはいない。
「言いたい言葉飲み込んで、あたしを苛々させるのがそんなに楽しいわけ!?」
「違う。そんなんじゃない」
「A・Dに入り渋ってんのだってあたしのせいでしょうが! そんなにあたしが嫌い!?」
「好きだよ! ……あ」
売り言葉に買い言葉的な、なし崩しの告白をしてしまい、首まで真っ赤な十玖が慌てて言葉を探すも見当たらず、美空が茫然と十玖を見る。
晴日は、あーあと言わんばかりの顔で十玖を見やり、謙人と竜助はニヤニヤ笑ってる。筒井はきょとんと二人を眺めていた。
「これって痴話喧嘩?」
筒井のツッコミ。
一層十玖が赤面し、席を立った。
「か、帰ります。ごちそうさまでした」
礼儀正しく一礼すると、皆が声をかける余地もなく、足早に出て行ってしまった。
見るともなしに見送ってから、ようやく現実に戻ってきた美空は、晴日に訊ねる。
「好きって言った?」
「言ったな」
「怒ってないね?」
「知ってたからな」
「なんで?」
「聞き出したから。俺はすぐに気付いたけど、中学ん時から惚れてくれてた奴の視線になんで気付かんの? 十玖ダダ漏れだったぞ?」
確かに晴日は十玖に絡みまくっていたではないか。
ただ異なっていたのは、今までのようにすぐ引くような連中と十玖が違った事と、晴日がA・Dに欲しがった事、十玖を気に入ってしまった事。
端からその可能性を考えていなかった。今までの思いをこじらせ過ぎて。
「あ……あたしバカだ」
十玖が置き忘れていった茶封筒を手に、フラフラとした足取りで店を出た。
エレベーターを待つのももどかしくて、階段を駆け上がり、足がもつれて転んだ。膝を擦りむいて涙がにじむ。不甲斐ない足を叱咤して、地下鉄の駅に向かって走り出す。
途中何度も転びそうになって、走ってる途中でパンプスを脱いだ。両手にパンプスを握り締め、ひぃひぃ言いながら十玖を追いかけた。