不器用な僕たちの恋愛事情


 *


 八月二週目の月曜日。あの事件から十日過ぎた。

 晴日は、仕事で来られない両親の代わりに、朝から美空の病室に訪れていた。

 少し離れた所で、無機質な妹を眺めている。

 犯人は、A・Dに逆恨みを持つ者たちだった。

 A・DがBEAT BEASTでワンマンをやる金曜日、活動休止中の彼らに代わり、ワンマンの枠を手に入れた。これを期に活動の枠を広げ、A・Dから奪い、追い落とすつもりだったのが、十玖の参入で復活し、瞬く間に夢が潰えた。

 A・Dを超える実力がなかった自分たちを認められず、恨み、その矛先を美空に向けたのだ。

 ライヴを中断させ、精神的なダメージを与えるのが目的だった。

 晴日のケンカの強さは知っていたが、その場に居合わせなければ逃げ切れる。万が一のことがあっても、複数ならばと高を括っていたし、まさか殴られた萌があそこまで食らいついて来るなんてのは計算外で、適当に煽って退散し、美空にたどり着いた時には、後の祭りのはずだった――――と自供した。

 そして一番の想定外は、十玖の強さだった。

 ケンカには多少の覚えがある連中を半殺しにするほどの強さを、彼らは知り得なかった。

 ステージ外の十玖は控えめで、大人しい印象しかなかったのだ。

 逮捕監禁罪と集団強姦致傷罪の現行犯で捕まった。

 十玖も過剰攻撃で任意同行したが、恋人が攫われ、強姦された事情を踏まえ、情状酌量された。これまで補導されたこともなく、素直に取り調べに応じたことも加味された為、一晩留置されたに留まった。

 もちろん筒井や事務所の力添えも大きい。

 ただし、事が事だけにしばらく活動自粛となった。

 尤もこの状況で活動できるメンバーはいない。

 美空は、傷の手当てと、妊娠予防の処置を施され、情緒不安定のため面会を制限されていた。

 動けるようになると、フラフラと売店に行き、カミソリを購入して自殺を図った。発見が早く、大事には至らなかったが、あまりに暴れて危険視されたため、しばらく拘禁衣で拘束された。

その後、精神安定剤で落ち着きを取り戻したが、時折うつ状態になり、十玖に謝罪しながら号泣する日が続き、今度は抜け殻のように反応することを止めてしまった。

 十玖は近付くことも出来なかった。

 病室の入口で、美空を見つめ、帰る日々。

 そんな十玖に、晴日は美空を忘れるように告げた。十玖の憔悴ぶりが余りにも見るに耐えなかったのだ。

 それでも十玖は毎日、美空を見舞いに来ることを止めなかった。

 守れなかった自分を責め続ける十玖を晴日は否定するが、全く聞く耳を持っていない。このままでは十玖までダメになってしまいそうで、もどかしくイラつく。

 十玖の責任ではないのに。

 そもそもA・Dに対する攻撃で、特に晴日に格別の怨みを持っていたのだから。

 二人がここまで傷つく理由なんてなかった。

 付き合い始めて、日々楽しそうだった美空の顔が、今では晴日の心を締め付けて行くのだった。



 十玖は面会時間に合わせて、今日も足を運んでいた。

 しかし今日はいつもと様子が違っていた。

 建物の前に人だかりが出来ていて、何やら騒がしい。

 その視線の先を追って、十玖は青褪めた。

 屋上の縁に立つ見慣れた姿に、自然と走り出していた。

 階段を駆け上がり、屋上に立つ。そこには必死に宥める晴日と、見向きもしない美空の姿があった。

「晴さん」

 静かに近付き小声で話しかけると、泣きそうな晴日が十玖の腕を掴んだ。

「十玖」
「なんで美空がこんな所にいるんですッ!?」
「トイレ行ってる隙に抜け出した。外が騒がしいから覗いてみたら、美空がここに立っていて」

 晴日は顔面蒼白だ。掴む手が小刻みに震えていた。

 自殺防止のためのフェンスが張られている。それを美空は乗り越えたのだ。手を伸ばしたところで、美空を止めることは適わない。

 十玖は美空を刺激しないように、離れた所からフェンスによじ登り、有刺鉄線の張られたねずみ返しをこじ広げ、無理やり間を抜ける。服が引っ掛かり、十玖の肌を傷つけた。

 一瞬、顔を歪めたが、そんなことに構っていられなかった。

 そろそろと彼女に近付いて行く。その間晴日は美空の気を引くように声を掛けていた。

 サイレンの音が近づいて来る。

 誰かが通報してくれたのだろう。間もなく病院職員も屋上にやって来た。

 救助工作車が到着し、大急ぎでエアマットを広げている。

 縁に立つ美空はフラフラとして危なっかしい。前に傾ぐ度、悲鳴やどよめきが起こる。

 ゆっくり、近づいて手を伸ばす。

 もう少しで手が届くところで、十玖の手が空を掻いた。

 悲鳴が上がる。

 咄嗟にダイヴしていた。

 落ちる美空の手を取り、その身体を抱き寄せ、身体を上下入れ替え、強く抱きしめる。

 完全に膨らみきってないエアマットに落ちて、窪みに埋まった。

「美空、大丈夫っ!?」

 胸に顔を埋める美空をわずかに引き離し、確認した。

 動揺している美空の瞳の焦点が合うのに暫しかかり、やがて十玖の顔を見留めると美空の目に涙が浮かんだ。

 消防隊員が駆け寄ってくる。

 美空の無事を確認した十玖は、「よかった」と呟いて、そのまま意識を手放した。



 十玖が意識を取り戻したのは、その日の夕方だった。

 空がほんのりオレンジに染まっている。

(きれいだなぁ)

 まず最初に思ったことは、空の美しさだった。

 優しい風がカーテンを揺らす。

 十玖はゆっくりと身体を起こし、空を眺めていた。

「気が付いたんだ?」

 声のした方を振り返ると、入口に美空が立っていた。

 十玖は言葉を失っして、美空をマジマジと見つめる。

「………………何…ソレ」

 美空の無事云々よりも、まずソレが気になった。

 首からぶら下がってる急ごしらえのプレート。

「お兄ちゃんが、十玖に迷惑かけた罰だって」

 恥ずかしそうに目を伏せた美空。

 プレートの文字を読んで、十玖は大きなため息をついた。

 私は命懸けで男を試す怖い女です。ごめんなさい――――と書かれている。

「これを掛けて、病院内をくまなく歩いて来いって言われた。それから十玖に謝れって」
「はあ?」

 なに考えてるんだ、と独りごちながら、つかつかと美空に歩み寄り、プレートをマジマジと眺める。

 見れば見るほど、晴日に腹が立つ。

「あーもうッ! これは外しなさい」

 プレートを引っ剥がし、真っ二つに折り曲げた。

「まさか本当に歩いてないよね?」
「歩いた。……だって、お兄ちゃん後ろで監視してるし」

 うなだれて、上目遣いに十玖を見る。

(晴さんシメるッ!!)

 ぐっと拳を握り締めた。

「こんなの無視すればいいのに。……まず中に入って」

 十玖は入口で突っ立ってる美空を促すべく背中を押した。その瞬間、美空はビクリと身体を震わせ、十玖は慌てて手を引っ込めた。

「ごめん」

 スッと離れていく十玖。美空は我に返って、十玖の背中に体当たりして抱きついた。

「うわっっっ!!」

 まさか来るとは思わず、つんのめった。

「違うのっ!! 十玖が嫌だとか怖いとか言うんじゃないの」

 震えながら必死にしがみつく美空の手を優しく包む。

「うん。大丈夫。分かってるから、安心して」

 そっと美空の手を取り、ベッドに腰掛けさせた。自分もその隣に腰掛ける。美空の緊張が伝わってきた。

 風が二人を優しく撫でる。

 美空はおもむろに口を開いた。

「ごめんなさい」
「何が?」
「十玖に迷惑を掛けてばかりで。今日のことだって、一つ間違ったら十玖を殺していたかも知れない」

 病院衣のズボンをぎゅっと握りしめる。しかし十玖はケロッとしたもんだ。

「あのままもし美空が死んでたら、僕も死ぬよ」
「バ、バカな事言わないで」
「バカな事じゃない。僕の命は美空が握ってる。バカな事だと思うなら、もお死のうなんて考えないでよ?」

 これは脅迫だが、言ったことに偽りはない。

 あの時守りきれなかった自責の念。美空を失ってしまいそうな焦燥と恐怖。

 また同じ思いをするくらいなら、いっそ一緒に消えてしまいたいと心底思った。

 十玖を見つめ、ふっと瞼を伏せる。

「あたしの油断が招いたことで、傷つけてごめんね」
「辛いのは僕じゃない」
「うん。すごく辛い。あの時の恐怖や痛みは、きっと忘れることなんて出来ない。でもそれ以上に、あたしを見る度に、十玖が苦しんだり悲しんだりする方が怖い。今はあたしが可哀想で離れられなくても、時間が経ったら、疎ましく思うかもしれない。だから」

「別れないよ」

 美空の言葉を遮って、躊躇なく言い切った。

 十玖を見る度、美空はきっと自分を責める。十玖から逃げ出したいと思うだろう。けれど自分勝手でエゴイストと罵られようとも、美空を手放すことは出来ない。

「十玖」

 泣きそうな、怒りそうな、複雑な表情を浮かべる。

 そんな彼女に十玖は悲しげな微笑みを浮かべた。

「これから先、美空に触れることが出来ないとしても、そばに居させて?」
「ダメだよ。そんなの」
「どうして?」
「どうしてって、わかるでしょ?」
「わからないよ。あのさ、自分が可愛くない奴なんていないよ。伊達や酔狂で飛び降りたりなんかしない。それくらい大切なんだ。美空が」

 十玖の真摯な眼差し。

 きっといつまでも待っていてくれるんだろうと思う。だからこそ、その優しさに胡座をかいてはダメなんだと、別れ話を切り出したのに、決心が揺らぐ。

 目頭が熱くなって、十玖から目を逸らした。

「美空が傍にいてくれるだけで、僕は幸せなんだよ? だから離れていかないで」

 ねっ? と小首を傾げて覗き込む十玖。

 美空の瞳に大粒の涙が浮かび、ボロボロとこぼれ落ちた。

 十玖は触らないと言った手前、抱き締めたい衝動を堪え、慌ててボックスティッシュを美空に差し出した。

 美空は一気に何枚ものティッシュを取り、ぐしゅぐしゅに泣きじゃくった。

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