不器用な僕たちの恋愛事情
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街灯がちらほら点き始めた薄闇の公園のベンチで、竜助はぼんやりしていた。
雲が流れて行く。
何となく家に真っ直ぐ帰る気にもなれず、ここでぼんやりする事が増えた。
子供の頃、ここでよく斉木兄妹と真っ暗になるまで遊んだものだ。
大体、竜助の姉、如美(なおみ)が迎えに来て、三人とも引き摺られるようにして帰るのが常だった。
無邪気だった頃が懐かしい。
あの頃はまさかこんな事になるだなんて、思いもしなかった。
明るく笑う女の子は、今はどこか昏さを秘めた笑みを浮かべるようになってしまった。
背もたれに寄りかかって、天を仰ぐ。
「お兄ちゃん。また泣いてるの?」
不意に声をかけられて、竜助は我に帰った。
声の主を確認して、嫌そうな顔をする。
「なんだ。泣いてないじゃん」
「ちびっこか。早く帰れよ」
「絢だっての。泣いてるのかと思って慰めに来たのに」
「お前なぁ」
絢は近所に住む小学三年の女の子だ。
ショートの髪に健康そうな焼けた肌。目には生気が漲っている。
雰囲気が、小学生の頃の美空に似ていた。
少し前まで面識もなかった子だが、病院の帰りにふと立ち寄ったこの公園で、気が緩んで泣いていた時に、頭を撫でられた。
驚いて顔を上げた竜助に「あんまり泣いたら目が溶けちゃうよ」と心配そうに覗き込んでいたのが、この絢という少女だ。
どうしようもなく涙が止まらず、そんな竜助の隣でじっと黙って座っていた。
やがて竜助の涙が尽きると、絢はにこりと笑って帰って行ったのだった。
あの時、小学生に慰められた事実が、何ともバツが悪い。
「今日は泣いてないから帰れよ」
「帰るよ。…はい。これあげる」
絢がポケットから取り出したのは、ロリポップ。
マジマジと眺める竜助の手に押し付けると、絢は「バイバイ」と駆けて行ってしまった。
「どうすんだよ、これ。食わねぇぞ」
やっぱりこれも慰められたのだろうか?
棒を抓んでクルクル弄ぶ。
この時期に、昔の美空と似た子に出会ったのは、なんの偶然だろう。
病院に駆けつけ、処置が終わるのを待つ間、震えが止まらなかった。
任意同行を求められた十玖に、殴られた被害者の萌、責任者の筒井と謙人が付き添って行ったので、美空に付き添って行ったのは晴日と竜助だけ。
悲惨だった。
全身、暴行を受けた痕が直視に耐えなかった。
斉木兄妹の両親が駆けつけるまでの数十分、二人はひたすら処置室に見入っていた。
母親は泣き崩れ、父親は怒りを壁に向けた。
美空が病室に運ばれると、竜助は一人帰された。
一緒に付き添いたかったが、家族以外は認められず、竜助の家にも心配かけるからと言われれば、帰るしかない。
その帰りに公園に立ち寄った。
二十一時をとっくに回って人影はなく、我慢しきれなくなった涙が溢れるままにしていると、あの少女が頭を撫でた。
竜助の涙が止まるまで傍にいてくれた少女は、暖かな笑顔を残して、公園の真向かいの家にこそこそと入って行く。部屋の窓から竜助を見つけ、こっそり抜け出して来たのだろうか。
しばらく家を眺めていると、部屋から手を振る絢。軽く手を挙げて応えると、部屋の明かりが消えた。
その後も何度か絢が現れた。
泣いていたわけじゃないが、いつも絢はしばらく隣に座って、帰って行く。
で、今日は何故だかロリポップを貰ってしまった。
ポストに入れて帰ろうかとも思ったが、そのままズボンのポケットに突っ込んだ。
実際、絢の存在にだいぶ慰められてる。
初恋の女の子に似た少女。
暫し時間を巻き戻してくれる。
幼かった自分は、美空よりも晴日といる方を選んだし、それに後悔はしてないが、忘れた頃に疼く淡い想い。
時間を取り戻したいとは思わない。
戻したところで、晴日のおメガネに適わないのは分かってるし、十玖ほどの強い気持ちは持ち合わせていないから。
美空の傍に十玖のような男がいてくれて、本当に良かった。
自分が十玖の立場なら、きっと辛くて傍にはいられない。
昔から、愛情というものに希薄だった。
親から愛情を注がれなかったから、とかいう在り来りな設定があるわけじゃない。音楽以外に執着の持てるものに出会えない。
それでも恋だったと自覚できるくらいには、美空は特別だったのだ。
今はただ美空の心の平安を願い、また太陽のような笑顔を見せて欲しいと願う。
天真爛漫のあの頃のような。
美空の笑顔とふと被った絢の笑顔。
なんの偶然なのだろうと、また思う。
でも確かに心が少し癒された自分がいる。
数日後、絢が引っ越したことを知った。
別れの挨拶になったロリポップは、ずっと竜助の机の上で癒しグッズとして鎮座することとなる。
謙人は自宅の離れにある通称音楽室で、晴日の作った曲の打ち込み作業中に、筒井からの電話を受けた。
気の滅入ることばかりで、一心不乱になりたかったのに、彼女の電話は更に滅入らせてくれた。
筒井には、ライヴはやるが、コメントを求められる番組には出るつもりはないと告げた。
最初は面白がるだろうが、不幸を売りものにして伸し上がったりしたら、すぐに誹謗中傷の的だ。
美空の事は、A・Dの事であってA・Dの事ではない。
筒井が言うことも分かってはいる。
ビジネスとして今波に乗ることも大事だろう。
美空をネタにお涙頂戴をアピールし、えげつない手段で名前を売って、更に美空を傷つけると同時に十玖も傷つけて、自分もまた傷を抉られる。
そんな事はゴメンだ。
今度の事件は、美空とは関係ない所で謙人の古傷を抉った。
二年前の後悔。
(この一年、思い出すことも少なくなってきたのに……)
幼い頃から特別な存在だった、ひとつ上の少女がいた。
とても特別な存在だったのに、ある日を境に、敷かれたレールの上を疑いもなく歩んでいた謙人を避けるようになっていた。
親の言いなりになりたくないと、彼女は言った。
彼女の所業は、悪びれもせず尽く謙人を傷つけ、嘲る。
行き場のなくなった想いの捌け口を、彼女にぶつける事で心を保とうとして、深い傷を負わせてしまった。
しばらく時間が必要だからと、彼女の両親は彼女をイギリスに留学させてしまい、謙人とは音信不通だ。
この音楽室は、その頃の副産物だ。
荒んで登校拒否になった次男坊に、年の離れた長男が与えてくれた。
曲を作り、外に発信する。
そして、冨樫涼が声を掛けてきた。
同じ学校の顔見知り程度だった涼とサイトを経由して仲良くなり、バンドを結成するまでになった。
A・D――――Angel・Dustとは“フェンシクリジン”と言う麻薬の名称で、涼が名付けた。
その頃の自分に、これほどしっくりくる名前はなかったと思う。
破壊的な曲ばかり作ってた。
それが涼と関わる様になって徐々に音が変わり、晴日たちに出会って音楽の趣向も変わり、今の事務所にスカウトされた。
外の世界へ連れ出してくれた涼が抜け、精神的にかなりのダメージは負ったものの、十玖が新しい風を吹き込んだ。
これからだと思っていた矢先に、自責の念を引きずり出され、かなり狼狽した。
だから尤もらしく十玖に付き添って、救急搬送される美空から離れた。
美空に申し訳ないと思う。
大事なのは現在(いま)なのに、過去に囚われて美空を直視できない。
慰める言葉が果たして自分にあるのだろうか?
そんな資格があるのだろうか?
自分の過去のこともまだ宙ぶらりんのままなのに、どの面下げて?
答えはわかってる。
大事な子だからこそ、上っ面の耳障りの良い言葉で濁せない。自分を騙せない。
嘘で飾り立てれば更に虚しさが増すばかりだろう。
美空を見るのは辛いが、逃げることも出来ないならば、時間はかかっても正攻法で行くしかない。
自分たちのやり方で。