不器用な僕たちの恋愛事情


 意外に早く指輪が決まり、そのまま帰るのも勿体なくてブラブラした。

 二人で外出するのは、かなり久しぶりだし陽もまだ高いのだが、先日家に連れ帰ってしまったため、松下家に帰宅したのは、彼女の荷物のみと言う事態を招き、家族を落胆させてしまった手前、これ以上、無理に引っ張ることは躊躇われた。

 帰りの道中、車の中で佐保はずっと嬉しそうに指輪を眺めていた。

 ティファニーのエンゲージリングの中から、佐保自ら選んだ。

 もう少し高くたって良かったのに、佐保は頑として譲らなかった。

 そこいらの学生よりはかなり稼いでいるし、自宅住まいだから音楽関係のもの以外に使い道がなくて、いつの間にか溜まっていた金だ。

 佐保に使うのなら惜しくなかったのだが、外国で一人暮らしをしてきた佐保の金銭感覚は、とても庶民的になっていた。

 指輪に使うくらいなら、将来のために貯金しといてと言うのだから、頷くしかあるまい。

 彼女を送り届け、しばらく談笑してから松下家を出た。

 門を出たところでスマホを見ると、自宅から嵐のような着信。

 宝石商をブッチしたから、怒りの電話だろう。

 敢えて見なかったことにする。

「佐野さん。事務所行ってくれる?」
「お帰りにならないんで?」
「筒井マネにしなきゃならない話があるんだ」
「承知しました」
「ホントじいさまには困る。佐野さんもいつもありがとね」
「そんな勿体ない」

 恐縮する佐野だが、労われて当然の人だと謙人は思ってる。

 勤続三十年。変わりなく渡来に仕え、謙人のような子供にも侮ることなく、また愚痴を聞いてくれる貴重な人でもあった。

 家族の事は無視しても、佐野だけは特別だった。

 車は間もなくオフィス街の一角に停まった。

 謙人が事務所に行くと、電話をしていた筒井が手を挙げる。謙人は軽く会釈して、来客用のソファーに腰掛けた。

 事務の女性がコーヒーを出すと筒井をちらりと見、「もうちょっと待っててね」と言って自分の仕事に戻った。

 謙人はテーブルの上の雑誌を手に取って、パラパラめくる。

 くつろぎ体制になりかけた頃、「ごめんごめん」と筒井がやって来た。

「昨日は済みませんでした。二日酔いは?」
「最悪よ」

 ドンとドリンクをテーブルに置くと、気持ち悪そうにうな垂れた。

 見渡せば、他のスタッフも似たりよったりの状態らしい。

「何時まで飲んでたんですか? 懲りないですねえ」
「大人には飲まなきゃやってらんない事情があるのよ。で、話って?」

 背凭れに寄りかかり、真剣に聞く気がなさそうに、シャツの第一ボタンを外した。

 謙人はまずコーヒーを片付け、事務に手招きしてカップを下げて貰う。

「独身の筒井マネには全くもって言いづらいことなんですが」
「ああっ!? ケンカ売ってんの?」

 案の定、謙人を睨んでテーブルを叩きつけた。

「来月の二日に結納する事になりまして」

 視線がザッと集まった。

 謙人は感知せず、にっこり微笑んで続ける。

「四週目の日曜に、各界のお偉方を呼んで、婚約披露パーティーするそうです」
「……お、お兄さんが…?」
「俺が。今朝聞いて、たまげたのなんの」

 茫然自失の筒井はピクリともしない。

 謙人が渡来グループのお坊ちゃまなのは、事務所では周知の事実だ。

 些細なことでも、何かあればニュースの一つも流れるお家柄。

「あたしより先に婚約って何よ!?」

 気を取り直した筒井が食ってかかって来た。

「そこっ!? 問題はそこなの!?」
「他に何があるっての!」
「芸能事務所のスタッフとして間違ってるから! 俺一応所属アーティストなんだけど!」
「あっ…」

 すっかり目の前のことに囚われて、失念していたようである。

 バツが悪そうに咳払いをし、居住まいを正す。

「昨日の許婚の子…だよね?」
「ですね。当人たちには今朝まで黙ってるんだから、あのクソジジィ」
「クソジジィってあんたね」

 仮にも祖父で、渡来グループの会長を堂々とクソジジィ呼ばわりする謙人に、肝が冷える。

 謙人は鼻であしらう。

「正月に結納って、どんだけ焦ってんだか。…で、問題はパーティーなんですけど」
「各界のお偉方って、さっき言ってたわね」
「間違いなくカメラ入ります。その前に記事になるかも」

 お互い見合って笑う。

 他のスタッフは事の重大さに静まり返っていた。

「え――――ッ!?」

 筒井の今更の反応に謙人が苦笑する。

 彼女は謙人の頭をぽかぽか殴った。

「あんたは昨日からあたしの心臓止めにかかってるっ!?」
「俺だって被害者ですよ。じいさま積年の夢を壊すような事はしませんけど、にしたって急過ぎて、ついて行けない。今朝だって宝石商来るから指輪選べって言われて、逃げ出して来たんですから」

「宝石商、指輪……世界が違過ぎるぅ。きっとかなりお高いんでしょうね」
「筒井マネ……だいぶお酒が残ってるね。鈍いし、論点がズレまくってるよ」

 ドリンクのキャップを捻じ明け、ため息つきながら差し出した。

 筒井は首を竦めて受け取ると、一気に飲み干してオヤジくさく唸り、謙人はまたため息をつく。

「正直言って、パーティーを止めるのは無理です。そんな素振りでも見せたら、すぐにでもA・Dにいらんなくなるんで、そこんとこ頼みますね」
「辞めさせやれるって事?」
「そおです。下手に動いたら軟禁されるかも」
「軟禁って、まさかそこまでしないでしょ」
「筒井マネはじいさまを知らないから。基本、俺とは合わないんですよ。今まで放任だったクセに、卒業間近になった途端、婚約言い出すし、大学卒業したら音楽やめてグループ企業に就職しろって言い出す始末ですよ。大学卒業したら、今度は速攻結婚しろって言い出すでしょうね」

 祖父の顔を思い出し、憂鬱なため息。

「続けられるように、大学卒業まで何とか策練るんで、申し訳ないですけど今回の婚約の件、対応をお願いします」

 深々と頭を垂れる謙人に、筒井は「ヤレヤレ」とボヤいて嘆息した。

 事務所でも人気グループのメンバーが婚約となれば、打撃は間違いない。

 以前、謙人が渡来の御曹司だとすっぱ抜かれた事があり、お坊っちゃまの彼女枠を狙うファンがこれまた多い。

 つまみ食いしない謙人を偉いと思っていたが、こんな時のための予防線だったのか。

「彼女は、何て言ってるの?」
「婚約のこと? A・Dのこと?」
「どっちもよ」
「婚約の件は驚いてましたよ。お互い子供の時から言われ続けてきた事ですけど、未成年のうちに正式な婚約するなんて思っていなかったし。A・Dのことは詳しく知りませんけど、バンドを始めた経緯を知っているので、応援はしてくれるみたいです」

 最初に音楽室をくれたのは祐人で、荒れていた時をバンドが救ってくれた。

 佐保は、祐人からそれを聞いて知っていたようだ。

「理解あるのね。それは家が決めた婚約者だから?」
「さあ、どうでしょ。俺には大切な子ですけどね」
「はいはい御馳走さま。一足飛びに婚約なんて、ホント頭痛いわ」

 長いため息をつき、筒井は立ち上がった。

「とにかく社長に話して、対策を練るから」

 数日後、謙人の婚約が正式に発表され、斯くして事務所は対応に追われる事となった。

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