不器用な僕たちの恋愛事情


二年に進級して、ようやくゆとりが出来た。最近A・Dの事だけに時間を取られる事もなくなり、時間調整しながら合唱部にも顔を出している。

 今年の入部は二十一名。十玖があまり出てないことを知って、顔も出さなくなったのが十六名。

 五名残れば上等だという新部長の飯山貴子。

 去年は十玖たち三人以外に一人だけだった。

 合唱部はいま屋上で筋トレ中だ。

 ペアを組んで腹筋する中、普通の腹筋では物足りない十玖の腹の上で、太一が胡坐をかいて回数を数えている。それに加えて発声練習しているのだから、新一年はおいそれと十玖に近付けない。

「十玖よりも太一鍛えた方がいいんじゃないの?」

 一年女子、高橋の足を押さえてる苑子が、全く堪えていない十玖に呆れたように言った。

 苑子は高橋から離れると、太一の斜向かいにしゃがんでいきなりボディーブローを食らわせ、彼はゲホっと息を吐きだして十玖の上に倒れこんだ。

「そ~の~こ~お!」

 十玖と太一の異口同音。

 太一は不意打ちを食らった怒りで、十玖は邪魔された上に胸を強打し、太一に押し倒された格好になった気持ち悪さだ。

 十玖は太一を押し退けて起き上がり、太一は涙目で腹を擦りながら、

「どうせ倒れるなら、こんなかったい胸じゃない方が良いんだけど」
「僕だってヤだよ。見てほら。サブイボ」

 腕の鳥肌を太一の眼前に突き出す。

 他の部員たちは二人のやり取りをくすくす笑っている。

「十玖だったら今くらいのパンチ、なんて事ないわよ。はいはい。二人交代。太一腹筋なさ過ぎ」
「俺は普通だから。趣味筋トレと一緒にしないでくれる?」

 文句を言いながら、それでも腹筋の体勢になる太一。十玖は彼の立膝を腕で固定する。

 太一が腹筋を始めると、苑子は一年の元に戻った。

「先輩たち、仲が良いんですね」

 足を押さえる苑子に高橋が言った。

「ちっちゃい時からの付き合いだからね」
「へ~ぇ。羨ましいなあ。父が転勤ばかりなので、幼馴染みって憧れます」
「良いことばかりでもないけど」
「そうなんですか?」

 不思議そうな顔をする高橋。すると太一が口を挟んだ。

「お互いがお互いを知り過ぎてるからね。幼馴染みだと親兄弟まで介入してくるから、秘密はないものと一緒だし。しかも家族を含めるとそこにはカーストが存在し、俺たち三人で限って言えばヒエラルキーが存在する」

「カーストとヒエラルキーですか?」

 どう反応したものか困った顔をしてる。太一は腹筋を止める事なく頷いて先を続けた。

「単純に腕力だけなら十玖が王者なんだけど」

 十玖の両腕をパンパンと叩く。その十玖は眉をそびやかした。

「親、大人、年長者と言う身分差の前では、扶養される者は絶対に勝てないし、勝ってはいけない。これはどこの家庭にもあると思うけど、俺ら一緒くたに育ってるから、父親が三人、母親も三人いるのと同じなわけ。親が六人トップに君臨し、兄や姉がその下に続いて、俺たち…最下層は亜々宮か」

「だね。本人嫌がるだろうけど。太一ピッチ落ちてる」
「はいはい」

 そう言う十玖は下から二番目で、太一は三番目だ。

 最下位の亜々宮は常に十玖に逆らって、ケンカ腰だけれど。

「以上がカースト。で、同級だから俺ら同じ立場のようだけど、苑子が生まれ一番早くて、その分体もデカかったし面倒見も良かったから、姉さん的立場だったんだよね。そうなると必然的に力関係が決定してくるわけ。これがヒエラルキー。この姉さんに逆らっちゃならない、みたいなパブロフ現象が、未だに発生するんだなぁ」

 腹筋を止めて、苑子をチラ見すると太一は嘆息した。

「何よ。他にも何か言いたそうね?」

 太一の視線に気付いた苑子が突っかかる。太一は「滅相もない」と再び腹筋を始めた。

 黙々と腹筋を始めた太一と下手に口出ししない十玖。高橋は力関係に納得したようだ。

「それでもやっぱり羨ましいです」
「まあそうね。あたしも二人と幼馴染みで良かったと思うし」

 十玖と太一は苑子を見て微笑む。苑子も微笑みを返し、

「二人がわざと負けてくれるんで、たまにイラっとするけど、ありがたく利用させてもらってるわ」
「大事にされてるんですね」
「…大事にされてるの? どちらかと言ったら扱いは雑把よね?」

 二人を交互に見て聞いてきた。

「大事にしてるでしょ。なあ?」
「してますよぉ。女子は体張って守るべし」
「でもそれ言う女性陣、守る必要があるのか疑問なくらい、めちゃ強い人ばかりだけどね」

 十玖母然り、有理然り。それに染まった苑子母子と太一母と太一姉二人。

 このアマゾネス軍団に、誰一人男性陣は逆らわない。

「ほら、そこ。くっちゃべってないで。次。背筋で発声ね」

 飯山部長に注意され、四人は慌てて口を噤み、背筋の体勢になった。

 エビ反りになってキープし、限界まで声を出し続ける。これが結構きつくて、文化部とは名ばかりの体育会系だ。

 バタバタと挫折していく中、一人余裕の十玖の上に苑子と太一が跨る。苑子は十玖の両肩を掴んで、更に後ろへと引っ張った。

「え、先輩!?」

 されるままの十玖をチラリ見し、苑子に視線を向けた。苑子は涼しい顔だ。

「大丈夫大丈夫。ブリッジ出来る奴だから、これくらい平気」
「はあ」

 高橋の心配をよそに、まだ声を出し続ける十玖に、全員が驚異の視線を向ける。

 そんな十玖に負けじ頑張れと、発破をかけられて、部員たちは背筋発声を再開し始めた。

 地味に汗をかき始めた頃、ふいに機械音らしき音がして一同が振り返った。

 一気に注目を浴びて、美空はたじろぎながらカメラを下ろす。

 つい習性でシャッターを切ってしまった。

「お邪魔します」

 手を挙げて、周囲に視線を巡らした。

「ごめんなさい。ちょっと十玖にいいですか?」

 飯山部長が頷くのを確認し、十玖に寄ってく。

 苑子と太一は十玖の上から退け、身を起こした十玖。美空の後ろにいる佳を見つけ、彼は一瞬顔をしかめた。

「どうしたの?」
「あ、うん。お兄ちゃんが、十玖に連絡付かないって。明日のライヴの事で話あるみたい」
「スマホ部室だわ」
「これ使って」

 美空は自分のスマホを差し出す。受け取るとすぐさま晴日に電話した。

 内容は曲順の変更。それに伴ってリハーサルをやるから、音楽室に集合と言うものだ。

「部長。すみません」

「みなまで言うな。分かってるから」

 それ以上の言葉はいらないとばかりに、手を払うように振って追い立てた。

 立ち上がって一礼すると、美空と連れ立って昇降口扉に向かう。途中、美空がつまずき、素早く十玖が支え、当たり前のように自然と手を繋いだ。

 一連の様子にぼうっと見とれる部員たち。

「いいなあ」
「うん」

 高橋が呟き、一緒に行きそびれた佳が頷く。どちらも無意識だったので、驚いて目を見合わせた。二人ともバツ
が悪そうだ。

 数秒、視線を絡ませ、どちらからともなく外す。

 部長の合図で筋トレが再開すると、佳は一礼してその場を後にした。


  *


“To Be Free” が通信講座のCMソングに起用された。

 オンエアはもう少し先の話だが、予定していた曲の歌手がスキャンダルを起こし、自粛する羽目になったせい
で、降って湧いたラッキーだ。おかげで周囲が色めき立っている。

 急にリハするとか晴日が言い出したのは、こう言う事情もあった。

 タイアップすれば飛躍的に知名度が上がる。CMならば知らずに聴いている機会も増えて来る。こんな有り難い事はない。

 この事実は前任のスキャンダルと共にワイドショーで流れたそうだ。忘れた頃にポツポツ浮上するインディーズバンドと言われていたらしい。確かにその通りだが。

 今回は謙人のバックグラウンドが影響されているのは否めない。

 ライヴやSNSで公式発表され、知らない人からも祝いの言葉を貰うのだが、何とも気恥ずかしい。

 特に十玖は人見知りなので、対応に困ってる。鉄仮面全開で、愛想もあったもんじゃない。常に一緒にいる美空に注意されるが、無理に笑うと怖いと言われた。晴日たちには大ウケだったが。

 面白くないのは亜々宮である。これまでにも充分十玖の弟というレッテルのせいで、鬱陶しい思いをしてきたわけだが、さらに加速している。友達になった覚えのない者まで、急に友達面されるのは、非常にムカつく。

 最もムカつくのは、智子が騒いでうるさい事だ。

 あまりにも腹が立ったので、「誰の彼女なわけ?」と聞いたら、智子はニヤリと笑って「亜々宮でしょ」と見透かしたように言ったから、それでまた腹が立ったのだが、何も言い返せなかった。

 この高校に来たのは、心底間違いだったんじゃないかと思う今日この頃の亜々宮である。



 十玖たちは、科学室から教室に戻るところだった。

 階段の踊り場から声を掛けてくる者がいて、十玖たちは見上げた。

 合唱部の一年、高橋だ。

「これから体育?」

 苑子が声を掛けた。

「はい。先輩たちは戻るところですか?」

 ニコニコしながら高橋が下りて来る。

 と、高橋がつんのめり、咄嗟に十玖が動いて間一髪で難を逃れた。

 十玖の胸の中で、高橋が硬直している。一年の女子たちはこの光景に嬌声を上げた。

「……おおーっ。びっくりしたぁ」

 目を剥いて、十玖に抱き着いたまま高橋が言った。体が小刻みに震えている。

「大丈夫?」
「あ…すみません。大丈夫です」

 高橋は十玖から離れると、へなへなとへたりこんだ。腰が抜けたようだ。

「大丈夫じゃないみたいだね」

 十玖がくすくす笑う。高橋は真っ赤な顔で俯いた。

「とーく。高橋さん保健室に連れて行ってあげたら? 腰が立たないのに放置したら可哀そうよ」

 苑子に言われ、美空を見る。美空は仕方なさそうに笑って頷いた。

 十玖はひょいと高橋を抱え上げる。

「出た。赤ちゃん抱っこ」

 太一の突っ込み。

 片腕で抱き上げられるのは、筋力があるからだ。太一には到底真似できないやっかみもある。

「当たり前でしょ。お姫様抱っこは美空ちゃん専用なんだから。ねえ?」
「当~然。じゃ連れて行くから、美空をヨロシク」

 この場合、美空がつまずかない様にという意味だ。

 十玖が歩き出すと、高橋は後ろによろめいて、慌てて首にしがみついた。またギャラリーの嬌声が一段と良く響く。

「斉木先輩。すみません」

 振り返りぺこりと頭を下げる。美空の複雑そうな笑み。

 十玖はすたすたと歩きだした。周囲の視線などお構いなしだ。

 高橋にとってはかなり恥ずかしいのだが、それを凌駕するほどの優越感を感じていた。

「授業、遅れちゃいますね」
「気にしなくていいよ」

 やんわり笑う十玖。思わず何かを期待してしまいそうな微笑みだった。

 高橋は首に回した腕に力を籠め、体を摺り寄せる。

「先輩…好きです」

 小さく耳に届いた告白。

 十玖は目を見開いて、高橋をしばし見つめると、「ごめん」とだけ返した。

 保健室に着くとざっくり有理に説明し、十玖は高橋の頭を撫でてすぐさま教室に戻って行った。

高橋は涙目でそれを見送った。

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