不器用な僕たちの恋愛事情
離れた所で車に乗り込む十玖を見た。
相手がどんな人物かは聞いたが、息を飲むような美女だとは聞いていない。晴日と竜助も驚いたようで、晴日なんかは「ひょえ~」と声を漏らした。
そんな美女と並んで遜色ない十玖。
「美女と車中に二人きりか」
ぼそりと竜助が言った。
「いいねえ。実にいいシチュエーションだ」
晴日が追従するように言う。
美空が二人を睨みつけると、晴日が美空の頭に手を置いた。
「大丈夫だよ。十玖なら、間違ってもそんな気起こさないから」
「そんな気ってどんな気よ!?」
不安を煽るようなこと言っておいて、それはないだろうと思う。
十玖を信じない訳ではないけれど、ふつふつと湧いて来る不安。
オファーを受けたら、本郷といる時間が増えてしまう。
社長直々に会いに来るくらいだから、十玖が何が何でも必要なのだ。
強情を張らなければ良かった。
十玖の言う通り、その気になったのは一緒なのに、八つ当たりして、触らせないなんて言って意地悪したことを後悔した。
DUNE ―――― ここ数年、若い世代に人気のブランドだ。
秋冬物のイメージモデルを十玖に頼みたいと、クライアントはアバダンティアを通して言ってきた。
直接、十玖の所属している事務所 “APLM" にオファーすればいいものを、とは思ったが、話を持って来たのは、十玖がモデルをしていた時の担当者だった。
キッズモデルのその後を知り、当時マネージメントしていた華子に渡りをつけてきた。SERIの従弟だと知った上でだ。
SERIは一昨年から専属契約をしている。十玖のことと三年の契約更新を逆手に取られては、華子としても纏めたい。
まずはプロモーションとして夏物を何カットか欲しいとの依頼なのだが、十玖がなかなか「うん」と言わない。
アバダンティア社長室に華子のため息が響く。
「何が不満なの? CMに引き続いていい宣伝効果あるじゃない」
悪い話じゃないのは分かってる。
「タイミングがちょっと」
「タイミング云々言っていたら、何も出来ないわよ!?」
A・Dとは関わりのないことで、目立ちたくないというのが、一番の理由ではあるが、当時の担当者がこの話を持ってきたと聞いて、高橋の顔が浮かんだ。
父親を唆したと言っては語弊があるかも知れないが、近いことをしているような気がしてならない。
でも何の為に?
高橋のメリットが分からない。
「ねえ。十玖の彼女、カメラマン志望なんですって?」
考え込んでいた十玖に華子の一撃。
挑戦的な微笑みに、十玖は眉をひそめた。
「何でそれを?」
「おたくのマネージャーから聞いたの。A・Dの写真以外にも、フォトコンで賞とか取ってるらしいじゃない。何ならタロさんのアシ、口利きしましょうか? いい勉強になるはずよ?」
そう来たか。と言うのが正直な感想。
十玖本人が無理なら、周りから攻め崩して彼を籠絡する。この戦法は、子供の頃にさんざん華子に使われてきた手だ。
タロさんこと本郷慎太郎は華子の旦那で、カメラマンを目指す美空なら、知らないはずないくらい名の通ったカメラマンだ。
にこにこ笑う華子が憎らしい。
自分のチャンスは見過ごしても、美空のチャンスを見逃せるのか? とでも言いたげで、癪に障る。
有名なカメラマンのアシスタントになるのは、専門学校を出ていても難しい。余程の賞を獲ってスカウトされるか、コネがあるか。
華子はコネを使っていいと言っているのだ。
ぐっと言葉を飲んで、上目遣いに華子を睨む。
華子の旦那なら十玖も人柄を知っているし、安心だ。
しかし高橋の魂胆が分からなくて、簡単に引き受けて良いものか?
でも美空にとってこんなチャンス、またいつ巡って来るか分からない。
頭の中をグルグルする。
散々考えあぐね、やっぱり答えなど出ない。
「時間下さい」
そう言うのが精一杯だった。
十玖は帰りの道中、行っても良いか美空に電話すると、返事は即答だった。
インターフォンを鳴らす前に、待ち構えていた美空が勢いよく扉を開け、驚いた十玖に有無を言わせず、家に引きずり込んだ。
十玖が先に二階に上がると、今度は晴日が部屋から出てきてニヤリと笑い、一緒に美空の部屋に入って来る。十玖の真ん前で胡坐をかいた。
「何ですか? 聞きたいことあるんですよね?」
目を輝かせている晴日を見れば、想像つく。
「あの超絶美女が例の社長か?」
「ああ。見てたんですか」
「あんな美女と車に二人っきりとか、何かねえの?」
「はあ!? なにバカなこと言ってんですか!」
声高になった十玖の肩をポンと叩く。
「美空には黙ってるから」
「あたしには何ですって?」
トレーにカップが二つ。中はコーヒーだ。一つは十玖に、もう一つは自分の前に置く。
「お兄ちゃんのは?」
「自分で持ってきたら?」
美空のコーヒーを取ろうとする晴日の手をピシリと叩く。
「で、あたしには何を黙ってるって?」
「いやあ。なにね。まあ色々と」
誤魔化し切れていない。美空がもの凄い形相で晴日を睨んでいる。
十玖は、隣に座った美空を引き寄せ、指を絡めて繋いだ。
「晴さんが聞きたいような事なんてありませんよ」
「あんな色気満載といて何も感じんのか?」
「まったく。大体、華子さん幾つだと思ってるんですか?」
「三十代後半」
十人中十人が、きっと晴日と同じことを言う。
十玖はうすら寒い笑みを浮かべた。
「本人の前でいったら激怒するから言えませんけど、五十オーバーですよ。うちの母さんより上です。妖怪ですけど?」
聞かなければ良かったと、晴日が後悔するのを知ってか知らずか、十玖は本題に入った。
「本郷慎太郎ってフリーカメラマン知ってる?」
「知ってるも何も神! 写真集持ってる。見る?」
晴日張りに顔を輝かせた美空に、些か引いた。
本棚から慎太郎の写真集を持って来ると、自慢げにテーブルに置き、「これが一番好きなの」とそのうちの一冊を開いた。
テーマは “水” のようだ。
人、動物、自然、人工と水の調和。ともすれば見過ごしてしまいそうな風景。
その中の一枚に、雨と戯れ、すっぴんで満面の笑顔のSERIの写真もあった。今よりもずっとあどけない顔をしている。
美空を見た。
「この人のサブアシスタント、やれるとしたらやりたい?」
「当然!! でもそんなチャンスないない」
顔の前で手を振って、笑いながら否定する。
十玖は、あぁと天井を仰いだ。
華子は核心をついて来る。本当、嫌な人だと思う。
「タロさん…慎太郎さん、華子さんの旦那さん。その気があるならだけど、アシやる?」
美空はきょとんとして十玖を見る。
しばらく十玖を見つめたままだった美空が、晴日に手招きすると、力の限り彼の頬を抓った。
晴日の絶叫を聞きながら、「うそ」と放心したまま呟く。
「嘘じゃないよ。学生だし、土曜日限定で、勉強しに来るならおいでって。その代りただ働きだけど」
「ただ働き全然オーケー」
美空は十玖に抱き着いた。
久々に美空から抱き着かれ、内心ガッツポーズをしながら、抱きしめ返す。
美空に電話をした後、慎太郎から電話を貰った。
華子からせっつかれた様で、苦笑しながら「一度連れておいで」と言ってくれた。
何がなんでも丸め込む気だ。
もう諦めた。美空がこんなに喜ぶなら、自分が何とかすればいい。
高橋の目論見もいずれ解るはずだ。
美空に危害を及ぼさない様に用心は必要だが。