不器用な僕たちの恋愛事情


 玄関を開けたら、豹が座り込んでこちらを睨んでいた。

 十玖は後退り、玄関を出て扉を閉める。

 すぐさま内から扉が開かれた。

「ちょっととーくっ!」

 豹の正体はSERI―――― 一つ上の従姉、瀬里。

 滑らかな姿態は、豹のようにしなやかで、シャープ。ネコ科独特の眼差しが、捕らえた者を魅了して離さない。それがSERIのイメージだ。

 ショートボブの髪を掻き上げ、目の前の従弟を睨み据える。

 ローヒールの靴を履いていながら、目線は十玖に近い。有無を言わせない目力が、十玖を捕まえた。

「何で逃げるのよ」
「いるはずのない人がいたから」
「逃げる答えになってないわね。あんたに用があって来たのよ。逃がさないわよ」

 右手の人差し指が、十玖の胸を突く。

 瀬里がわざわざ家にまで押しかけて来た理由。

「モデルの件なら、華子さんにさっき連絡したよ。うちのマネージャーにも」
「それじゃ引き受けたって事ね?」
「そういう事になるね。不本意だけど」

 本当に不本意なんだ、と顔に書いている十玖。瀬里は堪らず吹き出した。

「もお。十玖ってば、ほんと可愛いわねっ」

 女豹がコロコロ笑って、十玖の両頬を挟み込みぐりぐりする。

 こんな事をするのは、実弟の淳弥と十玖にだけだ。

 他の兄弟たちには、高本家のリーサルウェポンと呼ばれているが、ごく近い者しか知らない事実である。

「せっちゃん。十玖も帰って来たことだし、そんな所にいないで上がって話したら?」

 リビングから母が顔を出して言った。

「あっ、帰ります」
「久しぶりに来たのにツレないわね。お茶の一杯くらい飲んで行ってよ」
「じゃあ、一杯だけ」

 瀬里は猫の足取りで家に上がる。

 前世は間違いなくネコ科の動物だと、足運びを見るたびに思ってしまう。

 世が世なら、くの一になれたかも知れない。

 十玖は一度部屋に戻って着替えると、笑い声のするリビングに顔を出した。十玖が隣に腰かけると、それを待ち構えていたかのように、瀬里は口を開いた。

「おばさん。今度、十玖と一緒に仕事する事になったの」

 紅茶を啜り、にっこり笑う。

 両親は、まじまじと瀬里を見る。で、十玖を見た。

「バンドじゃないわよね? まさかモデル?」

 母は「冗談ばっか」と斜向かいに座る瀬里にわざわざ手を伸ばして、叩きながら笑ってる。十玖を知っているだけに、すぐに信じられないのは当然だ。

 瀬里の変わらない笑顔に今度は息を飲んだ。

「本当なの?」
「ええ。いまDUNEっていうブランドの専属しているんだけど、そこの担当者がキッズやってた頃の十玖を知っていたの。娘さん経由でバンドの事を知ったらしいんだけど、それが十玖だったから是非お願いしたいって。あたしも十玖が相手なら歓迎だし」

 ああやっぱり、と思った。

 高橋が父親に言ったのだ。十玖の事を。

「その娘さんて、多分合唱部の後輩」
「え。そうなの?」
「高橋って言うんだけど」
「うん。担当、高橋さん」

 確認が取れた事には感謝するが、気が重くなってきた。

 高橋はどこまで知っているんだろう。

 SNSにUPされた写真のコメントには、淳弥が従兄だとは触れていなかったようだが、担当の父親には知られている。

 あれこれ吹聴されたくない。

 周囲がいま以上騒がしくなるのもごめんだし、瀬里や淳弥に迷惑を掛けたくない。

 全くもって十玖の悩みは尽きない。


  *


 五月四週目、木曜日。

 プロモーション用のポスター撮りで、筒井と共に指定のフォトスタジオに入ると、先に入っていたSERIが手を振って寄越した。

「あたしより遅い入りなんて、偉いんじゃない?」
「やめてよ。せっちゃんにそんな事言われたら、大概の人、萎縮するから」

 現にSERIの戯れに、筒井が青褪めてる。目力がそれだけ強い。

 筒井はSERIに挨拶をして、華子の元に行く。ペコペコ頭を下げて、かなり緊張しているようだ。

「まさかこんな日が来るとはね~」

 瀬里は目を細めて笑う。

「そうだね。写真嫌いだったせっちゃんと、人見知りの僕がモデルなんて、変な話だよね」

 瀬里の隣のディレクターズチェアを勧められ、十玖は腰かける。

 端の方にいるスタッフたちを眺め、瀬里に尋ねた。

「高橋さんは来てないの?」
「あー。遅れてるみたいね。じき来ると思うわ」

 十分後、高橋が到着した。

 十玖は本郷と筒井に呼ばれ、瀬里に手を挙げてその場を離れると高橋に挨拶する。彼は十玖の足元から舐めるように見上げ、目を丸くした。

「あのちっちゃかった子が、随分育ったもんだねぇ」
「はあ」

 高橋父には悪いが、彼の事はあまり記憶に残っていない。嫌々だったし、淳弥にべったりだった事しか記憶になかった。

「トークさん。準備お願いします」
「いま行きます。それじゃ失礼します」
「楽しみにしてるよ」

 手を挙げた彼が、ふいに後ろを振り返った。

 彼の隣に並んだ高橋愛美(たかはしめぐみ)が、十玖に手を振って来るのに気付かない振りをし、渡された衣装を持って案内された部屋に行く。

 案の定、高橋は来た。

 さっきは無視したが、高橋父の手前ずっと無視するのは難しい。

 手早く着替えて、瀬里の元にまっすぐ向かい、隣に腰かけた。すぐにメイクがやって来て、十玖の前髪をダッカールで上げる。

 瀬里は十玖に向き直り、肘置きに頬杖ついた。

「急に機嫌が悪くなったわね」

 十玖の機嫌にすぐ気付くのは、さすが旧知の仲だ。

 瞑目したまま瀬里をスルーすると、ふふと笑う。

「原因は、あの子ね。合唱部の後輩」
「……せっちゃんて、ホント勘がいいよね」
「十玖ほどじゃないわよ。苦手…てのとはちょっと違うわね」
「最近やたらと絡んできて困ってる」
「フェミニストらしからぬ発言ね。十玖の事が好きなんでしょ」

 瀬里は高橋の方を見て、手を振った。高橋も手を振り返し、慌ててお辞儀をするのを見てから、瀬里は十玖に向き直る。

「悪い子じゃなさそうだけど」
「…キッズの頃の写真、SNSにUPされた」
「あらま」
「告られたの断ってから、彼女の行動が目について、癇に障るんだ」
「告られたの。へえ~」
「へえ~じゃないし。この仕事だって、彼女が絡んでると思うと、ホントは憂鬱なんだから」
「そんな憂鬱ならあたしが吹き飛ばしてあげるわよ。楽しみましょ」

 瀬里はぐっと十玖に近付くと、笑いを含んだ声で言った。目の端に高橋を捉えながら。

 瀬里の声音に十玖はため息を漏らす。

「なんか企んでる?」
「いやねえ。人聞きの悪い。可愛い従弟を悩ます子は、お仕置きが必要だと思わない?」
「せっちゃんが言うと怖いんだけど」
「あら。十玖が出来ないことをしてあげるだけよ。未だに女の子は守るべき存在なんでしょ?」

 三嶋家の独特な家訓は、瀬里の家でも有効だ。高本の伯父 晃は婿養子に入った生粋の三嶋男児であり、十玖父の次兄である。

「守るべき存在なんて、良いですね」

 メイクが口を挟んで来た。瀬里は「でしょ」と笑った後で、冷ややかな顔をする。

「お陰で鬱陶しいったら。基樹と力がフリーだから、どっちか貰ってくれない?」

 冗談とも本気とも取れない物言いだ。

 基樹は次兄で小児科医。力は四兄で舞台俳優だが、ちょっと曲者かも知れない。この二人に限った事ではないが。

「無理ですよぉ。高嶺の花過ぎて、恐れ多い」
「本性は最悪よ?」

 瀬里の男嫌いの原因でもある。それを勧める瀬里も瀬里だ。

 苦笑を隠さない十玖の胸を、瀬里は手の甲で思い切り叩いた。


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