咲くはずだった花
予感

第九話 予感

「…それで、奈千が何も無いのにすっ転んじゃってさ」

あれから数日

毎日のように、楽しそうに昔を思い出してはそう話してくれる真緒

奈千は目をキラキラとさせながら、それを聞いていた

「…私、すごく、ドジっ子だったん、ですね」

「…天性のドジっ子だったよ、奈千は」



何故だろう

私の話をしている時のこの人は

すごくいい顔…というか、嬉しそうな、楽しそうな顔をする

…この人にとって私は、どんな人だったんだろう

この人にとって私は、どんな風に映っていたんだろう

彼の話を聞けば聞くほど、今の自分とはかけ離れていて…

何だか、他人の話を聞いているような…


そんな気持ちになることもあった


「…ってやば。もうこんな時間か…

今日はこの後、リハビリ?」

「うん。…真緒く…真緒、は、もう、帰るの?」

「そうだなぁ…まあこれといって用事は無いけど…」


「…ほんと?」

「? 何かあった?」

奈千はぎゅっと拳を握りしめ、真緒を見つめる

「…リハビリ、見て、いかない?」

記憶を失くしてから奈千が初めて、真緒にお願いをした日だった


「それじゃあ昨日の続きからいこうか」

「…はい!」

リハビリ担当の理学療法士さんと一緒にリハビリを始める奈千

真緒は壁際のソファから、それを見ていた

「そうそう!次はこっちね」

「…っ、」

「…ゆっくりで、いいからね」

「…はい!」

一生懸命にリハビリをする奈千の姿は

真緒にも、光を与えた


「今日は一段とやる気だね、奈千ちゃん」

「ふえっ?!」

にこやかに笑いかける理学療法士

「…もしかしてあそこに座ってるの、彼氏?」

「なっ…!」

真緒をちょこんと指差して楽しそうに笑う

「ち、違います!
彼、は…幼馴染、みって、…!」

慌てて訂正する奈千

奈千の顔は真っ赤だった

「へぇ…幼馴染みなんだ
じゃあせっかく見に来てくれてることだし、頑張らなくちゃね」

「はい!」

しっかりと頷く奈千は、リハビリを再開した




奈千のリハビリを見学し始めて早三十分

真緒は、色々なことを思い出していた

「…本当、努力家な所は変わってないな」

リハビリに懸命に取り組む奈千の姿は、懐かしい記憶を思い起こさせた


…まだ、二人が幼かった頃の話である

『真緒ちゃあん……』

『なっ…おま、それどうしたんだよ?!』

『うわあぁぁん…!!』

泣きながら真緒の家にやって来た、幼い日の奈千

全身泥だらけになって、わんわんと泣き喚いていた

『ったく…ほら、取り敢えず風呂場行くぞ』

真緒が奈千の手を引いて、風呂場へと奈千を連れて行った

『…っ、!!
真緒ちゃん、痛いよぉ〜!!』

『ちょっとは我慢しろ!…ったく、何でこんなに汚れてんだよ…』

椅子に奈千を座らせて、泥を落としながら怪我の具合をみる

『…もしかして、お前また練習してた?』

『だって…だってクラスで出来ないの、奈千だけだから…』

小学四年生の夏

クラスで唯一逆上がりが出来なかった奈千は

毎日のように近所の公園に一人で行っては…日が暮れるまで、逆上がりの練習をしていた

『あのなぁ…逆上がりの練習する時は俺を呼べって、いつも言ってるだろ?』

『だって真緒ちゃん…サッカーあるし…』

『だってじゃない!…サッカーが無い日に、一緒にすればいいだろ?』

この頃の真緒は地元のサッカークラブに所属しており、週五のペースで通っていた

『それじゃあだめなの!!
早くみんなと、同じになりたいの…!』

そう言ってさらに泣き出す奈千

『…っ』

頭を抱えた真緒は

『…!』

『…お前が逆上がり出来るまで、俺も付き合うからさ


…もう泣くなよ』

『真緒、ちゃ…』

顔を上げ、真っ直ぐに自分を見つめる真緒を見ると

『俺じゃなきゃ、だめなんだろ?』

『…うん!!』


それからの真緒は

サッカークラブを度々休んでは、奈千の逆上がりの特訓に付き合っていた

そして…

『真緒ちゃん!奈千、出来たよ!!』

『見てた見てた!…やったな、奈千!』

『うん!!』

真緒の特訓は少々スパルタだったが…

無事、奈千は逆上がりを克服した


しかし…


『…パパやママにも、いつか見てもらえるかな』

『…そうだな』

滅多に家に帰ってこない共働きの両親

奈千が一番に見てもらいたかった両親が奈千の逆上がりを見ることは、結局無かった


「…ふう」

時刻は午後七時

そろそろ、奈千のリハビリも終わるはずだ

「あれ、真緒くん?」

「…あぁ」

真緒の隣にやって来たのは、結花だった

「偶然だね!…奈千のリハビリ見学?」

「うん」

「そっかぁ!…真緒くん、優しいんだね」

「…そうか?」

異様にテンションの高い結花

そういえば、プリントやノートを毎日持ってきてくれていたお礼、まだ言ってなかったっけ…

「…プリントやらノート、ありがとな」

「全然!
やっぱり…奈千がいないと、寂しいよね」

俯き静かにそう告げる結花

「…まあ。記憶が戻らなくても、ここからまた始めればいいものね」

そういって、目の前の奈千を見据えた

「…本当に」

「…?」

何故かその時の結花は…

怒りに似た目をしていた

「わ、もう七時じゃん!
真緒くんは帰らなくて大丈夫なの?」

ぱっと左腕に付けられていた淡いピンクの腕時計に目を落とす結花

「んー…もう少ししたら、帰るよ」

「…そう。
け、結構暗いよね?外…」

「?
あー…そうだな」

「…っ、!!」

あれ、結花何か怒ってる…?

真緒には結花の意図が全く伝わらず、相変わらず首を傾げていた

「…それじゃあ、先、帰るね」

「おー。…気を付けて」

そういうと、結花は踵を返してすたすたと早々と立ち去ってしまった

「…何、あいつ」

ぽかーんとしていた真緒の元へ、タイミング良くリハビリを終えた奈千が車椅子でやって来る

「…どうしたの?」

「あー…いや!何でも!」

「…」

さっきの子…

「…結花ちゃん、と、…何、話して、いたの?」

「特にこれと言っては話してないけど…あいつも、お前を見に来たんじゃないか?」

「…そっか」

奈千は、結花に違和感を感じていた

過去のことを思い出せないから、これが何を意味しているのかは分からない

でも…

「…あの子、は…」

「?」

結花が奈千を見る目と、

結花が真緒を見る目では

全く違うように、奈千は感じていた

「…結花、ちゃん…って、さ。
真緒の事…好き、なの?」

「……は?」

今日の真緒はぽかーんとあほ面するばかりだった

「…あいつが?俺を?

…奈千、どっかで頭ぶつけてねーか?リハビリ中にこけたとか…」

「なっ…!
こ、こけてない、もん!!」

ポカッと軽く真緒に頭突きする奈千

「…もういい。帰る」

「ご、ごめんて奈千!!

あー…ほら、お前の好きなアイス!さっき売店見たら売ってたからさ!行こーぜ?!」

拗ねて帰ろうとする奈千を慌てて引き止める

「…私、アイス好き、って…言ってない、よ?」

不思議そうに首を傾げる奈千

「…」

そっか…

こんな事ですら、覚えてないんだな…

「…よし!今日は特別!
リハビリ頑張った奈千に、アイス奢っちゃいます!!」

「あ、ありがと…?」

にかっと笑って奈千の車椅子を押す真緒

心の中に、チクンと小さな針が刺さったようだった
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