マドンナブルー
勝則と由利子は、数ヶ月間お互いの住居を行き来した後同棲を始めた。由利子が勝則のアパートに転がり込んだとい形だった。六畳一間の殺風景だった彼の部屋は、由利子色に染められた。観葉植物が室内に瑞々しさを添え、洗濯物を干すだけだったベランダには、植物があふれた。彼の食生活は、出来合いの弁当から、心のこもった由利子の手料理へと変わった。

 訃報が届いたのは、勝則が大学四年のことだった。母の信子が、脳梗塞で急死したという内容だった。彼は帰郷する際、由利子を伴った。彼女が勝則の故郷である仙台を訪れたのは、これが初めてだった。

 久しぶりに見た父の背中は、一段と小さく、弱々しかった。かつての強靭さは、どこにも見当たらなかった。そんな変わり果てた父の姿は、勝則がかねてより胸をくすぶらせてきたことの、答えを導き出した。

<やっぱり大学を卒業したら、仙台に戻ろう。由利子にプロポーズをして、一緒に仙台に来てもらおう>

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 信子の葬儀が終わり、東京に戻って三日ほどたった日、由利子はこつ然と消えた。彼女の身辺の荷物と共に消えた。彼女が残したものは、彼女が世話をしていた多くの植物と、〝のりくんごめんね″ と書かれた短い置手紙のみだった。

 由利子は仕事を辞め、自分の痕跡も消していた。勝則は、由利子が残した植物を、一ヶ月もしないうちにすべて枯らした。「丈夫だから、のりくんでも育てられるわよ」と由利子が言っていたサボテンまでもが枯れた。勝則がそう願ったからかもしれない。由利子を思い出すものを、すべて取り去りたかった。由利子が恋しくて恋しくて、どうしようもなかった。

 勝則は大学を卒業すると、予定通り仙台へ帰り教員になった。彼が働き始めて三年ほどたったある日、父と暮らしていた実家の呼び鈴が鳴った。

 曇りガラスのドアを開けると、大きなボストンバッグを握りしめた由利子がたたずんでいた。彼女は、勝則の驚いた顔を認めると、二人の空白の数年間をすべて埋めてしまうような、満面の笑みを浮かべた。

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「由利子が僕のもとを去ってから、もう四年がたったんだぜ。連絡もなしに突然やってきて、僕に恋人がいるとか、すでに結婚してるとか思わなかったのか?」

 勝則と由利子は、新居の近くの海岸を、手をつないで歩いていた。由利子は前を向いたまま、ふふふっと小さく笑った。夕焼け色に染まった、彼女の横顔が綺麗だと勝則は思った。そのとき彼は、初めて彼女を食事に誘ったときのことを思い出していた。あのときの由利子の横顔も美しかった。

 由利子は勝則とつないだ手のひらに、ぎゅうっと力を込めた。彼もそれに応えるように力を込める。

「そんな心配、全然しなかったわ。のりくんは、私が張り巡らせたクモの巣にかかったのよ。私の巣からは一生逃げられないの」

 憎らしいほど平然とした態度で、そう言ってのけた。しかしそんな由利子の姿も、勝則にとってたまらなくいとおしい。
 
 彼は足を止めると、由利子を抱きしめた。もうじき太陽は、完全に地平線のかなたへ沈んでしまうだろう。黒いウェットスーツを着たサーファーたちが、サーフボードを小脇にかかえ、海から上がり始めている。

「本当に、君の巣は強力だよ」

 勝則は、一語一語をかみしめるように言った。彼の作る大きな腕の輪の中に、すっぽりと身をおさめた由利子は、安心しきったように目を閉じた。
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