マドンナブルー
 梅田の家は、噂どおりの豪邸だった。咲羅は興味本位から、彼に誘われるがままのこのこと来てしまった。休日の夕暮れ時、両親のどちらかは在宅しているだろう。息子が同級生の女友達を家に連れてきたとしても、なんらおかしな話ではないではないか・・・・・・。咲羅はそう自分を納得させた。

 物々しい門を開けた梅田の後ろを、咲羅は緊張しながら彼に続いて門をくぐった。そこは、外観の荘厳さから一変し、花の世界だった。色とりどりのバラの海である。日没直前のこがね色の光の中、絢爛に咲き誇っている。

 咲羅は梅田の母と面識がないが、女手一つでクリニックを開業し、それを軌道に乗せているという彼女の手腕から察すると、鋭敏な人物なのだろう。それに梅田の母だけあって、美人に違いない。今から会うかもしれない、そんなでき過ぎた女性に、咲羅は過度に緊張していた。しかし目前に広がる風景に、彼女の緊張は緩んだ。花好きの人に、悪い人はいないという持論があったからだ。

「きれい!陽一君のお母さん、お花好きなんだね!」

 すると、なぜか梅田の表情は曇った。

「それはどうかな。あの人にとって、バラは成功の象徴みたいなものなんだよ。現に花の世話をしてるのは、週に一度来る庭師なわけなんだし」

 咲羅は言葉に詰まった。彼に対し、割り切れないものを感じる。不安な咲羅を残し、梅田は家の入り口目指して庭の小道を歩き進んだ。

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 邸宅の内部は、白を基調としていて清潔感があった。いたるところに美術品が陳列されている。人の気配はなかった。

「今日、おうちの人は?」
「父さんは学会の集会。母さんはクリニックに行ってる。日曜日は休みなんだけど、事務処理をしによく行くんだ。兄貴は論文の締め切りが近いから、たぶん大学だろう」

 ではこの広い家に彼と二人きり・・・・・・。咲羅の心に不安がよぎった。

「俺の部屋、二階の一番奥。飲み物準備するから先に行ってて」

 咲羅は不安に従う行動を起こすことなく、彼の部屋に向かった。胸騒ぎがした。戸惑いが大半ではあるが、積極的な気持ちも、わずかながらあった。

 梅田の部屋は、掃除が行き届いてこざっぱりとしていた。部屋の中央に、ガラス板のローテーブルがある。その他の家具は、ベッドと学習机と、大きなシェルフがあった。そのシェルフの上下段に、本やCDがずらりとおさめられている。中段は彼の趣味の領域らしく、ミニチュアカーやラジコンカーが所狭しと陳列され、光彩を放っていた。それらの、ピカピカと磨かれた車体から、咲羅は幼少の梅田の姿を想像した。彼は車のおもちゃでいきいきと遊んでいる。ほほえましく、おもわず咲羅は笑顔となる。先ほどの胸騒ぎはいつの間にかなくなっていた。

 咲羅のすぐ背後に、人の気配があった。コーヒーを乗せたトレーを持って、梅田が入ってきた。

「そんなとこに突っ立てないで、座りなよ」

 そう促され、咲羅はローテーブルに彼と向かい合って座った。咲羅が男の子の部屋に入ったのは、これが初めてである。改めて、室内を仰ぎ見た。殺風景な中、ピカピカのミニチュアの車体がやはり目に留まる。

「陽一君、車のおもちゃで遊ぶの?」

 そう彼をからかった。

「ラジコンならたまに走らせるけど・・・・・・。男なら、みんな車が好きに決まってるだろう」

 彼は照れくさそうに言った。

「咲羅は?咲羅は子供のころ、どんな遊びをした?」
「私?うーん」

 真剣に考えた。潮のしょっぱいにおいと、父を感じる家・・・・・・。母が、父の写真を家中に飾っていたのだ。その大半は、家が津波に飲まれた際、行方知れずとなってしまったが・・・・・・。

「私は、家派より外派だったな。けっこう野生児だったの。海で男の子たちと、真っ黒になってカニをつかまえたりしてたのよ」
「マジで!?それ食べんの?」
「アハハハッ。ちゃんと逃がしてたよ。でも、から揚げとかにしたらおいしかったかも」
「意外。咲羅って結構おてんばだったんだな。そのころの咲羅に会ってみたかったな」
「大自然の中で育てば、しぜんとおてんばになるのよ」

 楽しい思い出が次々とよみがえり、咲羅は機嫌よく笑った。しかし次の瞬間、笑顔のまま凍りついた。

 梅田は穏やかな表情で、咲羅を見ていた。笑顔だが、寂しそうでもある。咲羅との別れを惜しんでいるようだ。そのため、部屋全体がしめやかな空気となっていた。そのしめやかさに、咲羅はつまずいた気持ちとなった。

 梅田は咲羅から視線をそらさないまま、コーヒーカップを湯飲み茶碗を持つように持ち、静かに口に運んだ。咲羅は体をすぼませ、彼につられるように、カップに両手を添えておずおずと口元に持っていった。咲羅としては、おちゃらけた空気に変えたいのだ。その一変させる言葉を探すがひらめかない。沈黙さえ破ることができれば、もう何でもいいと思い、

「それにしても・・・・・・」

 口が渇き、上擦った。仕切りなおし、

「それにしても、家大きいよね。何部屋あるの?」

 梅田の表情は急に曇った。想定外の反応への戸惑いより、空気が一変したことに安堵する気持ちが勝った。

「十部屋」

 彼は無愛想に言った。

「十部屋なんてすごいね。うちアパートで狭いから、広くてうらやましいな」
「すごくなんてないよ。無駄に広いだけだよ。うちは四人家族だぜ。十部屋なんていらないんだよ。こんな無駄なことに金を費やすために、母さんは毎日忙しく働いてるんだよ。昔からずっとそうだった。父さんの稼ぎだけでも充分生活できるはずなんだ。でも、仕事は母さんの生きがいなんだって」

 むきになって、彼は一息に話した。言い終えると、取り乱したことを後悔したように口をつぐんだ。

 ふたたび沈黙となり、気詰まりな空気となる。

 ふいに、梅田はスッと立ち上がった。

「そういえば、今度サザンのCD借すって言ったよな。今つけるから待ってて」

 彼はCDプレーヤーへ向かい、準備を始めた。彼の背中は、何だか寂しそうだった。咲羅はそのとき幻覚を見た。母親の愛情に飢えた、孤独な男の子の姿が彼と重なっていた。

 スピーカーから『真夏の果実』が流れ出した。梅田はふたたび元の場所に座った。会話はない。しかし気詰まりではない。無言の隙間を音楽が満たし、彼は咲羅に対して横向きに座っていた。そのため、二人の視線が合うことはなかったからだ。

 曲がさびの部分に差し掛かったとき、咲羅は酔ったように心地よさから目を閉じた。・・・・・・ギシッときしんだ音がした。次の瞬間、唇に柔らかな感覚が走った。彼女が目を開けると、梅田の顔がすぐそばにあった。彼はテーブルを介して前かがみの体勢で、テーブルに置いた右手で体を支えていた。片方の手はだらんとし、咲羅の頬へ持っていこうか、肩にしようか、それともこのままでいようかと、行き場を考えあぐんでいるようだった。

スピーカーから、相変わらず甘い歌詞が流れてくる。咲羅は、その甘い余韻の中に溶け込んでいくように、目を閉じた。

 

 
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