マドンナブルー
 美奈子の部屋で、杜は美奈子の温もりを、かみしめるように体に感じながら今日起こった出来事を回想していた。

 美奈子は疲れたように、しばらくの間静かに杜の胸に身をゆだねていた。ふいに彼女は杜の胸を押しのけ、彼の腕から抜け出た。拒絶ではなく、強い恥じらいが美奈子から立ちのぼっている。彼女はふてくされたような顔をし、杜にそっぽを向いて、ひざを抱えて座り込んだ。

「ありがとう・・・・・・」

 美奈子はボソッと言った。杜は聞き間違いかと思い、「うん?」と問い返した。

「だからありがとうって言ったのよ!少しはあいつをこらしめてくれたんでしょ?それと、私のせいで怪我させてごめん・・・・・・」

 しおらしい言葉と裏腹に、彼女の態度はふてぶてしかった。そんな彼女から、杜ははにかみを感じ、やにさがる思いとなる。

「へへっ」

 彼は得意そうに笑った。

「少しどころか、あの野郎たった二発のパンチで伸びたうえ、しょんべん漏らしたんだぜ。あっ、誤解すんなよ。この怪我はそいつにやられたんじゃなくて、居合わせた男たちから袋叩きにあったんだ。多勢に無勢では、さすがの俺もお手上げだぜ」

 美奈子の憂さは少し晴れた。彼女は弱々しく笑い、

「多勢に無勢だなんて、バカのくせに難しい言葉知ってんじゃん」

 心外だと言わんばかりに杜は大げさな顔をし、

「能ある鷹は、ええっと、何とやらって言うだろ?本当は俺、秀才なんだぜ」
「能ある鷹は爪を隠すでしょ。肝心なところを知らないんじゃん」

 美奈子は声を出して笑った。杜はそれを確認すると、彼も笑った。しかしすぐに美奈子は思いつめた顔となり、うつむいてしまった。

 杜は真顔となり、

「赤ん坊はどうするつもりだよ」

 美奈子は響きに応じるように、

「おろすに決まってんでしょ!」

 と吐き捨てた。

「お前簡単におろすとか言うけどなぁ、どういうことかわかってんのかよ。つまりは小さな赤ん坊を殺すってことなんだぞ」
「そんなことわかってるわよ!」

 美奈子は悲鳴のような声を出した。

「そんなことわかってるわよ!ていうか、あんたに関係ないでしょ!」
「わかってんなら軽々しくおろすなんて口にするな!」
「だからあんたに関係ないって言ったでしょ!おろそうが何をしようが私の自由よ!」
「お前本当にそれでいいのかよ!あんなゲス野郎の子供だって命に違いないだろう!」

 二人の口論は白熱していった。それに伴い、美奈子の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていった。

「あんたさっきから何なのよ!わかったような勝手なことばかり言って!私だって産めるものなら産みたいわよ!でも高校生の私がどうやって父親のいない子供を産んで育てるの?そんなの親が許すと思う?だから私のことはほっといてよ!」
「ほっとけねえよ!父親がいないなら俺が赤ん坊の父親になる!」

 美奈子はかたまった。唐突すぎて、彼の言葉の意味が飲み込めない。

「はあ?」
「だから俺が赤ん坊の父親になる」
「冗談でしょ?学校はどうするの?仕事は?これはおままごとじゃないのよ」
「学校なんて今すぐやめてやるよ!」

 杜はむきになっている自分に気恥ずかしくなり、ごまかすように笑った。冷静になり、ふたたび話し始めた。

「そもそも高木がいたから、俺はおとなしく学校に通ってたんだぜ。お前がいなかったら、問題でも起こしてとっくに退学してたよ。俺、学校辞めて板前になろうと思ってる。板前は中卒だろうが大卒だろうが、実力社会だから関係ないんだって。俺ってけっこう手先が器用なんだぜ。高木だって自分のだんなが料理できたらうれしいだろ?」

 杜は、“ だんな ”と口にしたことに照れくさくなり、口をつぐんだ。美奈子の心は温かみで満たされた。杜が自分に気があることは以前から知っていた。その想いをもてあそぶように、彼に対し、美奈子の態度はいつも高慢だった。彼女が考えていたよりもずっと、杜の気持ちが強いのを知り、過去の仕打ちを後悔した。急に小柄の杜が大きくたくましく見える。しかし、その胸のうちが彼女の態度に現れることはなかった。

 美奈子は顔に驕慢をたたえ、

「父親になる?それって私とあんたが結婚するってこと?オエッ生理的に無理。あんたと結婚するくらいなら、中絶したほうがマシよ」

 美奈子は杜の顔を見られなかった。非情さを装うように彼にそっぽを向いていた。・・・・・・しばらくの間、美奈子はその冷たい体勢のままでいた。杜の立ち上がる気配があった。ドアの開く音がし、彼は部屋から出て行ったようである。

 美奈子は窓に行き、カーテンの合わせ目からそっと外をのぞいた。すでに夜が広がっている。真下の黒い道路を街灯が青白く照らしている。そこに、杜の後姿が現れた。背をかがめ、おぼつかなく歩く彼の姿は、やがて視界から消えた。

 美奈子は窓から離れ、ベッドに突っ伏した。枕に顔を押し付けむせび泣いた。

 その晩、美奈子は両親に妊娠の事実を打ち明けた。
 
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