マドンナブルー
 取調べを終えた杜と畑山は、薄暗い取調室を出て明るく開放的なフロアへ抜けた。久しぶりと感じられる明るさに,杜はおもわず目を細めた。次の瞬間、彼の左頬に強烈な衝撃が走った。そのため彼は床に倒れこんだ。

 ふいの出来事に杜は状況がつかめない。頭上を仰ぐと、光をさえぎって彼の父親が立ちはだかっていた。

「健介!お前また人様にご迷惑をかけるようなことをしやがって!」

 警察からの知らせを受けて、仕事を抜け出してきたといった具合の背広姿の父親は、畑山に劣らない巨漢だ。彼は両肩をとがらせ、息子をにらみつけていた。その少し後ろで、おろおろとしている華奢な女性が杜の母親である。その隣に、担任教師の顔があった。杜が警察署内でこのシチュエーションに出会ったのは、今回が初めてではない。違いといえば、教師の顔が変わったことくらいである。

 左頬に受けた父のこぶしは、杜が今日大学で負ったどの衝撃よりも彼の体の奥までしみた。杜は決まり悪そうに仏頂面で、ツイッと父にそっぽを向けた。ふたたび勢い込む父親をなだめるように、「まあまあお父さん」と言って畑山が割って入った。

「息子さんから詳しい事情を聞いたんですがね、どうも被害者の大学生が一方的に原因を作ったようです。もちろん今回の件は健介君が悪い。しかし彼は、被害者の大学生からひどい仕打ちを受けた友人のために、たった一人で大学に乗り込んでいったわけです。友人想いの健介君に免じて、学校のほうでも穏便に対処していただけないでしょうか。被害者のほうも、失神したものの無傷に近いですし、ごらんのとおり健介君が負った傷のほうがよっぽどひどい。被害者も悪事が明るみになるのを恐れて告訴することはないでしょうし・・・・・・」

 そう、畑山は杜を擁護した。

 杜の両親は畑山に詫びていた。きびきびと父親は頭を下げる。杜の血が熱いのは父親譲りで、小柄なのは母親譲りとわかる。次に彼らは教師に向き直り、謝罪した。

 杜は、ふてくされたように壁にもたれ、思案に暮れていた。勢い任せに突っ走ってきたものの、臆面が心にのぞく。そこへ、畑山が歩み寄ってきた。

「おい坊主。お前男だな。職業柄暴力を容認することは言えないが、お前すごくかっこいいぜ。その友達を大事にするんだぞ」

 畑山は初めて杜に笑顔を向けた。

“ お前男だな ”

 この言葉は魔法となり、杜の気勢をめらめらと燃え上がらせた。

                      ****

 繁華街から一歩踏み込んだ路地のごみの膨らみの上に、杜は無気力に体を横たえていた。ポツポツと降り始めた雨粒は、すぐに線となって杜の体を濡らしていく。晩秋の雨は冷たった。

 杜は警察署を出た直後の、高揚した自分の姿を思い出していた。自分のまぬけさが浮き彫りとなり、誤算に気づく。彼は肝心の美奈子の気持ちを考えていなかった。今まで杜は、何度も美奈子に自分の気持ちを伝えてきた。戯れの延長ではあったが、確かに彼女に伝わっていたはずである。しかし彼女はそれを無視し続けた。つまり自分は好かれていない。嫌われているのかもしれない。そのため美奈子が言った、「あんたと結婚するくらいなら中絶したほうがマシよ」という言葉が妥当であると認めざるをえなかった。

 杜は、街の明かりで薄明るい夜空を仰いだ。相変わらず雨の線が刺してくる。この冷たさは、いずれ雪に変わりそうである。しかし彼は、しばらくの間立ち上がることができなかった。
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