マドンナブルー
 それから間もなく、美奈子は高校を退学した。双方の両親も交えての話し合いの結果、杜が十八歳の誕生日を迎えたら、籍を入れて同居するという運びとなった。美奈子が退学する際、杜は自分も退学して働くと言いはった。しかし彼の父親から、「高校も出ないで家族を養えるか!」と一喝され、なくなく高校に残ることを飲んだ。

 校内で美奈子と杜の事情を知るのは、咲羅と梅田と教師たちだけのはずだった。しかし、二人のうわさはあっという間に広がった。おそらく、お腹が膨らみ始めた美奈子と杜が、一緒にいる姿を目撃した者がいたのだろう。そのうわさは同級生たちの下劣な好奇心をあおり、杜は、美奈子の絶頂時の様子をたずねられたり、しまり具合をたずねられたりと、卑猥な質問を浴びせられた。そのたびに、杜は相手を殴り倒したい衝動を必死に抑え、適当に受け流した。

                       ****

 十二月半ばの日曜日、咲羅は数週間ぶりに美奈子と会った。杜の両親へのクリスマスプレゼントを買うのに付き合わされたのだ。クリスマス目前の日曜日である。どこもかしこもクリスマスムードで、街全体が浮き立っていた。

 彼女たちは数軒の店を渡り歩いた後、喫茶店に入った。久々に会った美奈子は、だいぶふっくらしていた。彼女はドーナッツを三つ注文し、がっついている。

「すごい食欲だね。妊娠したとたん、そんなに食べたくなるものなの?」

 咲羅は半ばあきれて言った。彼女の知る美奈子は小食なのである。

「たしかにお腹もすくんだけど、今は堂々とたくさん食べていいわけじゃない。なにせ二人分の体なんだから。私太りたくなくて、今までずっと食べたいものを我慢してきたの」

 妊娠前のスリムな体型は、我慢の上に成り立っていたのだと知り、感心した。やがて、食欲が満たされた美奈子は、口元に付いた粉砂糖をナプキンでぬぐい、「これ見てよ」と言って、バッグの中から五センチ四方の紙片を取り出した。それは全体的に黒っぽく、中心に白い物体がぼんやりと映っている。それは生き物だと分かった。

「これ、赤ちゃん?」
「うん。まだ十センチくらいなんだって」
「すごいね。この小さいのが人になるんだもんね」

 咲羅は、その神秘的な写真をまじまじと見つめた。じわじわと感動が起こる。

「それもこれも、咲羅のおかげよ」
「えっ?」
「杜に聞いたよ。梅田君と一緒に、あれこれおせっかい焼いてくれたんだってね。だから、今この子がいるのは咲羅のおかげよ」

 咲羅は照れくさそうに笑った。

「あいつのこと、まだ杜って呼んでるの?」
「うん。あいつにも名前で呼んでほしいって言われてるんだけど、やっぱり杜は杜なんだよね」
「それ分かる」

 と相槌を打ち、二人は笑った。

「ところで、咲羅は安藤先生と、最近どうなの?」

 急に振られ、身構えた。

「先生とは・・・・・・、普通よ。朝美術室に行って、絵の指導をしてくれて、コーヒーをご馳走してくれて・・・・・・、普通でしょ?」
「だからそういうことじゃなくって、美術室に二人きりでいて、セックスしたいとか思わないのかってこと」
「もうやめてよ。そんなんじゃないってば。単なる憧れみたいなものなんだし、それに先生も私を好きなわけないし」

 美奈子は腑に落ちない顔をした。安藤の他界した妻子の存在を知らない彼女は、安藤の気持ちが自分に向くはずないと言い切る咲羅の自信は、いったいどこから来るのかと不思議に思った。しかし美奈子は、「ふーん」とだけ返すと、それ以上突っ込んでこなかった。

 二人は喫茶店を出ると別れた。美奈子は、杜の両親から夕食に招待されており、これから杜宅へ向かうという。咲羅は今日バイトが休みである。まだ時刻は午後四時だ。このまままっすぐ帰宅する気にはなれず、映画でも観ようかと、一人歩き出した。

 美奈子と別れてから、なんとなく寂しさを感じた。すでに夕闇が広がっている。十二月になると、恒例のイルミネーションが街を彩っている。咲羅は居心地が悪く、目の前のコンビニに逃げるように入った。クリスマス目前の日曜日である。どこもかしこもカップルだらけだった。こんなとき、世界中で自分ひとりが寂しい独り身であると錯覚してしまう。

 適当に買い物を済ませ、店外へ出た。店頭に喫煙場所がある。そこで、大学生風の二人の男が立ち話をしている。その様子に、咲羅は安息の地にたどりついたようにほっとした。しかし次の瞬間には、実はこの二人も愛し合っているのかもしれないという意識に捉えられ、そんな卑屈になっている自分に苦笑した。

 咲羅は結局このまま家に帰ることにした。きらきらした大通りを避け、あえて裏道を選んだ。細長い一本道で、想像以上に人通りがなく閑散としていた。その日はいていた、ブーツのヒールの地面にあたる音が、妙に響いてくる。

 咲羅は心細くなった。反射的に後ろを向くと、三十メートルほど離れたところに二つの人影があった。安堵して前へ向き直った。しかし、すぐにその安堵は胸騒ぎへと変わった。その人影には覚えがあった。先ほどコンビニの店頭で、立ち話をしていた二人組みである。

<ひょっとして、つけられてる・・・・・・?>
< 48 / 59 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop