マドンナブルー
 ある日の放課後、美術室で部のミーティングがあった。今年は計六名の新入生が入部した。ミーティングを仕切るのは、部長で三年の川島という男子生徒である。新入部員と安藤の歓迎会も兼ねているため、おのおのの手元にジュースとお菓子がふるまわれた。川島の音頭で乾杯した後、一年生から順に自己紹介する運びとなった。

「趣味、将来の夢、高校生活で期待してることなどなど、自由に発言してください」

 川島が述べた後、一年生が一人ずつ立ち上がり、緊張した様子で自己紹介を始めた。一年生が終わり、二年生に順番が回ってきた。咲羅は、最近目標が定まった美大進学のことを話した。すかさず同じ目標を持ち梅田が、驚いた表情で咲羅を見た。彼女は、「実はそうなの」とでも言うように、舌をチラッと覗かせ茶目っ気のある笑みを返した。

 三年生の自己紹介も終わり、後は安藤を残すのみとなった。

「では最後に、新しく赴任してきました我らが安藤先生に、夢を語っていただきます」

 川島がもったいをつけて言うと、生徒の視線はいっせいに安藤に集まった。彼は、生徒たちのいるテーブルから一人離れ、後ろの壁に背をもたれさせて立っていた。生徒たちの夢と希望に満ちた話を、腕を組んでうなずきながら熱心に耳を傾けていた彼は、自分に自己紹介の番が回ってくることを想定していなかった。

「うーん、僕の夢かぁ・・・・・・」

 彼は、胸で組んでいる腕にいっそう力を込めて考える素振りをしたが、これといった回答を導き出せなかった。そのため自分に向けられた、刺激的な発言を期待する多くの目を無視した回答をした。

「教師になる夢が叶ってしまったからね。生徒たちが夢を叶えることが、僕の夢だな」
「先生そんなこと言ってごまかして!本当はかわいいお嫁さんがほしいとかなんじゃねえの?」

 と杜がけしかけた。生徒たちの笑い声が上がった。安藤は困った顔となり、

「そりゃあ、かわいいお嫁さんはほしいけどね」
「彼女はいるの?あと先生の初体験の話も聞きたいな」

 杜のおふざけは終わりそうになかった。安藤は困惑し、苦笑いを浮かべていた。とりわけ男子たちが、杜をはやすように笑い声を立てる。安藤の強靭な表皮をひっぱがし、弱々しくなっていくさまを楽しんでいるようだ。

 見かねた美奈子が、安藤に助け舟を出した。

「川島先輩!杜のアホなんかほっといて、ミーティング進めてください。杜、安藤先生をあんまりからかうんじゃないわよ!」
「みんなだって、先生の童貞喪失の話に興味あるだろうなと思って、俺が代表して聞いただけじゃねーか。つまんねーの」
「おだまり!あんたは先生をからかって楽しんでるだけじゃない。弱いものいじめはおやめ!」

 美奈子の言った「弱いもの」という言葉に不思議と違和感がない。彼の穏やかで控えめな性格が、そんな印象を与えていた。

「杜と高木、静かにしろ!夫婦喧嘩なら外でやれよ」

 川島がそうぴしゃりと言うと、笑い声はひときわ大きくなった。嬉しさを隠し、そ知らぬ顔を決め込んでいる杜に対し、美奈子は怒りと羞恥で耳まで赤くした。

 川島がミーティングを続けた。

「今年の夏合宿の件ですが、わが校美術部は、毎年牡鹿半島の網地島で合宿するという伝統があります。それが震災以降途絶えてました。島が整備され、今年から民宿を再開するそうです。皆さんの中には、いまだ海に近づくことに抵抗を持つ人がいるかもしれません。しかし、島を活性化させ、島の人々の暮らしを支えるためにもぜひ、網地島を合宿地に選びたいと思うのですが、どうでしょう・・・・・・」

 話を言い終えないうちに、歓声が響いた。

「静かに!これは遊びに行くのではなく、合宿だということを忘れないでください」

 川島の話を聞く者は、誰もいなかった。おのおの夏のバカンスを思い巡らせ、さざめき合った。

「咲羅、楽しみね!」

 美奈子は目をきらめかせて言った。咲羅も同調した態度を取ったが、彼女の脳裏にあったのは、青空にそびえる入道雲でも白く輝く砂浜でもない。安藤と一夜を共にするということが(大勢で過ごすのだが)彼女の心を浮き立たせた。

 咲羅は安藤を盗み見た。とたんに胸を、ぎゅっと締められる感覚となった。さざめき立つ生徒の群から、一人距離を置く安藤の表情に、陰が差し込まれていた。
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