鉄仮面女史の微笑みと涙
「何も知らなければこんなことは言わないが、知ってしまった以上、放っておくことはできない。君もこの数週間一緒に仕事をしてて感じていたんじゃないか?加納課長のあの態度、あれは明らかにおかしい。情報管理部の連中が今まで何も思わなかったのが不思議でならない」
「情報管理部の仕事は、各々の個人プレーみたいなものですからね。必要以上話すこともなかったんでしょう」
「しかしだな……」
「私も、加納課長と仕事をしていてこのままじゃいけないとは思っていました。確かにあの態度は普通じゃない。他のメンバーにも相談されていましたし。やっぱり原因は、この旦那でしょうか?」


僕は手に持っている調査結果用紙の加納忠司氏の名前をピンっと弾いた


「ああ。私の勘なんだが……加納課長は旦那からモラハラを受けているんじゃないかと思うんだ」
「モラハラ……」


多分、間違いないのだろう
いつも何かに怯えているような態度、時々俯いて何かを我慢しているような行動
そして、僕が加納に旦那のことを聞いた時に一瞬強張った体……
それに、社長の勘はよく当たる


「皆川部長、これはあくまでも加納課長のプライベートな問題だ。しかしこのままでは加納課長の旦那が出向のタイミングで、加納課長を退職させて札幌に連れて行くかもしれない。その前に救ってあげたい。彼女に辞められるのは我が社の痛手だ。君も知っているだろう?彼女は将来の女性幹部候補の1人だ」



将来的にF社の女性役員の割合を増やすことが、この前の役員会で決まっていた
加納は確かにその候補に名を連ねている


「しかし、どうすれば……」
「だから君にこうして言ってるんじゃないか」


ドヤ顔で言い放った社長を見て、またため息をついた


「分かりました。出来る範囲で加納課長を救う手立てを考えます」
「君ならそう言うと思ってたよ。何かあれば言ってくれ。協力は惜しまない」
「はい。じゃ、僕はこれで。役員室で仕事していきます。そろそろ進藤課長に文句言われるころですから」
「はははっ。それもそうだな。じゃ行ってくれ」
「はい。失礼します」


会釈をして社長室を出た
そして自分の役員室に向かって、書類の山になっているデスクの上を見てため息をついた
席に座り、社長から渡された書類をながめる


「さて、どうしたものか……」


ただの部下に過ぎない加納のプライベートにまで踏み込んで、加納を救ってやれるのだろうか
しかし、このままでは業務に支障がきたす事になるのは目に見えている
この数週間で、加納の言動について他の部下から相談されていたのは事実だ
特に木下からは、同じ女性だけあってよく相談されていた


「加納課長、なんだか自分に自信がないみたいで、いつも『私なんか』って言うんです。あんなに仕事もできるし、気遣いもできるのに、なんであんなこというのが分からなくて……」
「木下は、加納課長とはやりにくいか?」
「いえ!そんなことありません!むしろ、色々教えてもらいたいです!」
「じゃ、思い切り頼ってみろ。そしたら加納課長も自信が持てるようになるかもしれない」
「そうですね。やってみます!」


そんな会話をした数日後だっただろうか、加納が少しだけ微笑んでくれたと木下が嬉しそうに報告してきた


「鉄仮面女史の微笑みか……それに、祥子にも会わせてあげたいしな……」


妻の祥子と加納が同じ大学の同級生と分かって妻に聞いてみたら、加納が留学するまでは仲良くしていたと妻が言う
じゃ、会ってみたら?と言ったら


「私は会いたいけど、多分海青ちゃんは私には会いたくないと思う。私、海青ちゃんを怒らせちゃったから……」


妻が悲しい顔をするのでそれ以上は追求しなかったが、妻が会いたがっているのは事実
それは叶えてあげたい
妻の為に加納を救ってあげたいと思っている自分にちょっとだけ吹き出した


「家庭の問題……モラハラ……あ、そうだ。あいつに相談してみよう」


スマホを取り出し、連絡先の同級生のフォルダを検索する


『柳沢透吾』


そして僕は電話をかけた
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