鉄仮面女史の微笑みと涙
そう思っていると皆川部長が口を開いた


「以前、吉田社長が君の身辺調査をしたと言っていただろう。その結果を僕が柳沢に渡してたんだ」


部長の言葉に私は俯くしかなかった
そして無意識に自分のお腹を押さえた


「いいか?これからは俺の勝手な想像だ。違うなら違うって言ってくれ。あんたが流産したのは情報管理部に異動してしばらくたった頃だ。その頃あんたは妊娠してるのが分かった。それを旦那に言った。でも旦那にしてみれば、子供が産まれたら金が掛かる。それにあんたが産休にでも入ったら借金が返せなくなる。だからあんたに言ったんじゃないのか?『子供を堕ろせ。君みたいな女に子供なんか育てられる訳ないだろ?』と」
「止めて下さい……」
「そんなこと知らないあんたは、産みたいと言った。あんたの心のどこかにあったはずだ。『子供が産まれたら夫が変わってくれるかもしれない』と」
「……お願いだから」
「それに、女ならお腹に宿った命を産みたいと思うのは本能だろう。でも旦那はそれを許さなかった。そして旦那は……」
「もう止めて下さいっ!」


私は目の前にあったグラスを薙ぎ払った
グラスは割れて欠片が飛び散る
私は発作的にその欠片を手に取り左手首を切ろうとしたが、先生に腕を掴まれた
私の右手からは血が流れている


「離してください」
「離せるか、馬鹿野郎」
「そうです、私は馬鹿です。だから夫がどんな人間かも分からずに結婚して、お腹の子供も守れなかった」
「……何があった?」
「もう分かってるんじゃないんですか?」
「そんなもん分かるか。何があったんだ?」


私は大きく息を吸って言った


「夫に堕ろせと言われても私はそうはしませんでした。そんな時、通勤途中の駅の階段で誰かに突き飛ばされました。気がついたら病院でした。医者にもうお腹の子はいないと言われました。その時夫に言われました『お腹の子も守れないなんて、君は母親失格だ。2度と子供を産もうと思うな』と。その時、私は全てを諦めました。夫に逆らうことも、笑うことも、泣くことも、自分の幸せも」
「それで、自ら『鉄仮面』を被ったのか?」
「……夫の言う通り、私はお腹の子を守れなかった。そんな私が幸せになんかなっちゃいけないと思ったんです」
「誰に突き飛ばされた?」
「それは……」
「見たんだろう?誰だったんだ?」
「……夫です。でも、一瞬しか見てないので確証はありません」


私の話に皆川部長は絶句した
祥子ちゃんは涙が止まらないようだ
でも先生だけは冷静に話を聞いていて、私の腕を掴んだままだった


「ちゃんと話しました。だから手を離して下さい」
「嫌だね。離したらあんたはまた手首を切ろうとするんだろ?」
「だったら何なんですか?」
「……もう、これ以上傷付くな」
「え?」


予想外の言葉に私は先生の顔を見上げた
何故か先生が痛そうな顔をしている


「せんせ、い?」
「もうあんたは十分傷付いてるんだ。なのに自分で自分を傷付けようとしてどうする?」


思わず下唇を噛んだ
すると先生は私に諭すように言った


「あんたはそうやって感情が表に出そうになると唇噛んで我慢してきたんだろう?でも、もう我慢しなくていいんだ。泣きたきゃ泣けばいい。喚きたきゃ喚け。怒りたきゃ怒ればいい。笑いたいときは笑えばいいんだ。そりゃあんたの結婚生活は散々だったろうよ。でもな、その分これから幸せ掴めばいいんだ。なのにこんな危ないもん掴んでたら幸せなんか掴めないだろ」
「幸せ?私が……?」
「ああ、そうだ」
「でも、私は……」
「流産したのは事故だ。あんたのせいじゃない」


私のせいじゃない……
ずっと誰かにそう言って欲しかった……
気付くと、私は涙を流していた
すると先生は、真剣に言った


「俺が絶対離婚させてやる。絶対助けるって言っただろ?」


私がゆっくりと右手を開くとグラスの欠片が床に落ちた
それと同時に先生は私の腕を離して、私の頬を撫でた


「今まで辛かったな。もう、何も我慢しなくていい。そして、幸せ掴め」


私は腹の底から泣き声をあげた
喉の奥で血の味がする
それにも構わず泣き続けた
先生は私が泣き疲れて眠るまで、力強く、でも優しく抱きしめていてくれた
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