揺蕩うもの
『なんだ、狐(きつね)憑(つ)きかと思ったら、そなた半妖(はんよう)か・・・・・・。』
 頭の中に響く声に、私はあたりを見回すが、真っ暗で何も見えない。
『狐憑きを街中で見るのも幾歳ぶりかと思うたが、半妖とはまた珍しい。』
 どういうこと、私が半妖って、どういうこと?
『人には関わらぬことだ。所詮、人と妖(あやかし)とは相いれない。』
 どういう意味?
『妖が戯れに人との間に成した子、哀れな半妖。妖の力を封じて人として生きるか、人から離れ、妖として生きるか、早く決めるのだな。』
 待って、何を言っているの?
 私は必死に声の主を探そうとした。


「紗綾樺さん!」
 闇を祓うように聞き覚えのある声が耳に届いた。
「紗綾樺さん、大丈夫ですか?」
 再び声が聞こえ、私はその声が宮部のものだと気付いた。それと同時に、視界に明かりが戻ってくる。
「紗綾樺さん、気が付きましたか?」
 宮部の顔が視界に入り、私は目を開けている事に気付いた。
「貧血を起こされたみたいで、途中で動けなくなったの覚えてますか?」
 そうだ、私は気分の悪さに耐えられず、途中で意識を手放したんだ。でも、車にいるってことは、宮部が私を車まで運んでくれたってこと?
「意識が戻ってよかったです。もし、しばらく待ってもだめなら、救急車を呼ぶしかないなって。でも、脈もしっかりしていたし、水も飲めたので、大丈夫かなって、思って回復するのを待っていました」
 宮部は言うと、嬉しそうにペットボトルを手渡してくれた。
「よかったら、飲んでください。僕は口をつけていませんから」
「ありがとうございます」
「お疲れだったんですよね。毎日、あんなに沢山の人の鑑定をして、それなのに、昨夜は食事に付き合わせたり、今日も、こうしてお仕事前に引っ張りまわしたりして、本当にすいません」
 宮部は申し訳ないという表情を浮かべて頭を深々と下げた。
「ご心配かけてすいません。もう、大丈夫ですから」
 さらに言葉を継ごうとしたところで、私の携帯が鳴り始めた。いつもなら、この時間電話をかけてこないはずの兄だった。
 私は、宮部に携帯を見せてから、電話に出た。
「もしもし?」
『さや、どこにいるんだ仕事も休んで!』
「えっ!?」
『昨日の事が心配で、いま占いの館まで来たら、お休みだって言われたんだ。今日、休むなんて聞いてないぞ。』
 兄の声は、心配というより、怒りを含んでいる。
『まさか、あの警察官に頼まれて、何か厄介事に巻き込まれているんじゃないだろうな?』
 うーん、我が兄ながら鋭い。
「そんなことないよ」
『今日は、何時に帰ってくる?』
 立て続けに、答えられない質問ばかりだ。困ったな。
「そんなに遅くならないようにする」
『わかった。じゃあ、家で待ってる。・・・・・・頼む、さや。これ以上、お前が傷つくのを見たくないんだ。だから、もう、力は使うな。』
 電話の向こうの兄が泣きそうになっているのが、手に取るように分かった。
「お兄ちゃん」
『じゃあ、家で待ってる。』
 兄は言うと、私の返事を待たずに電話を切った。
「お兄さん、お怒りのようですね」
 宮部の声は心配げだ。
「兄は、心配性なんです」
 私が答えると、宮部は心の中で私の家族構成を思い描いている。
 本当なら、話す必要もない間柄だけれど、これからこの事件の解決まで、ある程度の時間を一緒に過ごすとなると、宮部の事も知る必要があるし、宮部にも私の特殊な状況を知っておいてもらう必要があるのかもしれないと思った。
「今日、仕事はお休みにしますから、崇君の家と学校まで連れて行ってもらえますか? それから、静かに事件のお話ができる場所に連れて行って下さい」
 私が言うと、宮部は少し考えてから、『わかりました』と答え、一度車から降りて行った。宮部が車から降りた理由がわからず、キョトンとしていた私は、彼が駐車料金の支払いに精算機のところに行ったのだと、『百円玉、百円玉・・・・・・』と、繰り返している彼の考えを聞いて理解した。
「お待たせしました。じゃあ、車を出しますね」
 宮部は丁寧に声をかけてから車を出した。

☆☆☆

 僕は隣で静かに目を閉じている紗綾樺さんに声をかけることもできず、ただひたすら目的地を目指して車を走らせた。
 僕のために今日の仕事をお休みにさせてしまったが、生活は大丈夫なんだろうか?
 見た目で判断するのはよくないことだとはわかっているけれど、お兄さんと二人で暮らすには、プライバシーもないような小さなアパートだったし、姿を現したお兄さんも、バリバリのビジネスマンという雰囲気ではなかった。
 紗綾樺さんはスマホを持ってはいるが、同じ年代の女性のように使いこなしている風ではない。お兄さんがGPSで居場所を特定していると知っても怒りもしないところを見ると、兄妹の関係はとてもよく、紗綾樺さんはとてもお兄さんを信頼しているみたいだ。でも、昨夜のお兄さんの態度は、ちょっと過保護な気がする。あれじゃ、まるで女子高生に対するような態度だ。
 どう見ても、紗綾樺さんは成人に達しているし、姉じゃなく、お兄さんと住んでいるということの方が不思議な感じがする。
 震災で被災したというから、家族で離れ離れに暮らしているのだとしたら、仕方ないか。

「何か、音楽でもかけましょうか?」
 何とか沈黙を破りたくて声をかけてみたが、紗綾樺さんは眠ってしまったようで、答えなかった。
 警察官なら、襲われる心配はないか。
 完全な安全パイとして扱われていることに、僕は寂しさを感じた。
 いけない、いけない。『惚れっぽいのが、あなたの欠点なのよね』という母の言葉が思い出される。確かに、過去何度となく道ですれ違う女性に恋い焦がれたこともある。そんな僕にとって紗綾樺さんは一目で恋に落ちてもおかしくないくらい素敵な女性だ。
 ストレートの黒髪、卵型の顔、理知的な額を隠す揃えられた前髪。白い肌に鮮やかな紅の唇は蠱惑的といえる。それなのに、なぜか僕は紗綾樺さんに恋をしなかった。
 あの出会った日、普通なら最初にすれ違ったときに恋をしていてもおかしくないのに、僕は紗綾樺さんに恋しなかったとハッキリ言いきれる。そして今も。それが、仕事に関係しているからなのか、それとも、何か特別な理由があるのか、それは僕にもわからない。
 もちろん、好意はもっているし、信頼もしている。紗綾樺さんなら、この行き詰った捜査に何らかの光を与えてくれると、僕は確信している。これが超能力者とか、霊能力者と呼ばれる人たちに捜査を依頼するのと同じだという事はわかっている。そして、これがとても軽率な行動と人に言われることも分かっている。でも、一つだけ僕には確信がある。紗綾樺さんは僕が事件の話をする前から、事件の事を知っていた。僕の心を読んだにしろ、他の何かから情報を得たにしろ、警察しか知らないことを知っていた。
 普通、捜査協力というものは、こちらの手の内を明かして、相手に協力を求めるもの、でも、今回は違う。紗綾樺さんは犯人でもなく、関係者でもなく、事件について知り得る能力を持っている人だ。だから、紗綾樺さんになら、行方不明の崇君を見つける突破口を開くことができると、僕は信じている。
 たとえ誰も信じてくれなかったとしても、僕は信じているし、これからも紗綾樺さんの能力を信じられる。


 夕方の渋滞も、隣で紗綾樺さんが体を休めていると思うと、苦ではなかった。
 逆に、目的地の学校が近づくにつれ、また紗綾樺さんに無理をさせることになるという不安な気持ちになっていった。


 警察車両ではなく、個人の車なので、迷惑にならないように学校近くのコインパーキングに再び車を停めた。
 崇君の家から学校までは近く、学校からの帰りに少し足を延ばせば、崇君の家の近所を歩くこともできる場所を選んだ。
 本当は、紗綾樺さんに負担をかけたくないのだが、住宅街にある崇君の家の近くには駐車できる場所が少なく、現在も誘拐の線を含めて捜査が進められていることもあり、路上駐車をしていれば、顔見知りに職務質問を受ける事になるのは間違いなかった。


「紗綾樺さん」
 僕が声をかけると、彼女の切れ長の目がパチリと開き、黒曜石のような瞳が現れた。
「ここから学校まで、五分ほどの距離です。それから・・・・・・」
「崇君の家も、この近くなんですね」
 僕が説明する前に、紗綾樺さんが口を開いた。
「少し、一人にしてください」
 紗綾樺さんの言葉に、僕は慌てて頭を横に振った。
「ダメです。今日は、何度も具合が悪くなったじゃないですか。一人だったら、倒れてしまうかもしれません。少し距離を置いて、自分もご一緒します」
 今にも車を降りそうな紗綾樺さんに言うと、僕は車のエンジンを切ってシートベルトを外した。
「じゃあ、少し離れてついてきてください」
 紗綾樺さんは言うと、僕を待たずに車を降りてしまった。
 急いで車を降りると、僕は紗綾樺さんの後に続いた。
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