ウラオモテ
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2010年8月12日

 息ができない。
 そう感じるより先に、私の身体が跳ねあがる。いつの間にか片手がリモコンをつかんでいて、電気がついていて眩しい。
ベッドの上で座り込む。息をするのを忘れてしまっていた。深呼吸。吐いたままの息を、無理矢理吸い込んで呼吸をしているような気分。眠れた気はしない。頭がずっと冴えているような感じ。首の付け根が重くて痛い。目の奥もうずいてる。暑苦しくて気持ち悪い。ベッドサイドの机の上のデジタル時計は三時二〇分。八月一二日。そう、一二日……。でも本当に? まだ夢のなかにいるみたいだ。それも間違いなく悪夢。何の夢を見ていたのだったっけ。気持ちの悪い夢。何か――大きな蟻みたいな、蜘蛛みたいな何か――に追いかけまわされるような。猫くらいの体躯で、尻尾の針で人を串刺しにしていく虫の夢。
 全部夢のよう。化け物みたいな虫も、美果からもらった手紙も全部。きっとコンクールだって終わってなんかいないはず。
 立ち上がろうとベッドに左腕をついたその時、急に強い痛みがはしった。
 手首と肘のちょうど真ん中あたりについた一本の傷。かさぶたもまだ出来てない。傷つけられたことは夢じゃない。
机の上を見ると青い封筒。昨日の手紙。
 ああ、夢なんかじゃないんだ。
 封筒のなかには一枚の可愛らしい水色の便箋が折りたたまれている。びっしりと書かれた細かくて綺麗な、繊細な文字。

 真琴へ。
 こうやって手紙で伝えることになってごめん。でも面と向かって言ったら絶対止められるかなーって思ったから。それともその逆かな。どうなんだろ。
 私さ、もうこの世って地獄としか思えないくらい、辛いし。だからせめて好きなことしようって決めました。何で地獄なんだろうね。たぶんきっと全部現実のせい。あの人たち殺さなきゃ気が済まないし。何より殺したいから。もう我慢したくない。だから明日の朝、実行します。
 あのさ、実はそんなに殴られたりとかしてないんよ。あの人のこと嫌いだし、殴ってくるのは事実だけど、私ほど悪いやつじゃないからさ。半分くらい嘘だったら、さすがに先生たちも騙しきれないみたい。哀しいね。
 こんなこと書いてても、もしかしたらやらないかもしんない。そんな上手くいくとも限らないしさ。でも、もう私は嫌だよ。痛いのもなくなったら、あとはもう命だけだから、あんまりためらうこともないし。でも何でこんな手紙書いちゃったんだろうね。止めてほしくはない。知っててほしいのかもわかんない。一緒に殺しちゃおうって誘ってみたい。どうなんだろう。そのあたりの解釈は任せます。でも決意表明かなあ。真琴にだけは伝えたかったんよ。
 馬鹿な私なりに、真琴の言葉考えてみた。報われないなら、報われるようにすれば良いじゃんって思った。真琴みたいに難しいことは無理だから、的外れだったらごめんよ。
 今まで話きいてくれてありがとね! 楽しかったし、幸せな時間だったかな。
とか言いながら、また普通に学校行くかも。そのときは愚痴でも何でも絶対聞く。
 よかったら、明日の朝4時くらいに、学校近くの神社の展望台で会お。大きい鳥居あって、その石段上った先で待ってるから。これ渡した場所ね。メロンパン食べよう!
 美果より。

 昨日も読んだ、美果の手紙。
 私も殺そうか。
 隣の部屋からはおじいちゃんのいびきが聞こえてくる。階下からは物音ひとつ聞こえてこない。きっと皆寝ている時間。
 何が良いんだろう。黒の鞄の中をまさぐって目当ての剃刀を見つける。ガードの無い、ピンク色のシャープな剃刀。新品。ちょっとした装飾が入っていて、照明を鮮やかに反射している。美果が言うんだから切れ味はバッチリなはずだ。リスカする分には。でも喉を切るにはちょっと可愛らしすぎる。たぶん。 
台所の包丁なら何とかなるのかも。それとも物置から工具でも取り出してこようか。金槌、鋸、釘、ペンチ。そこそこなのはあるはず。先が尖ってる調理用の鋏なんかも良いかもしれない。
でも悲鳴なんてあげさせちゃったら皆起きてしまう。喉をバッサリ切ってしまえば大丈夫だろうか。ガムテープで口を塞ぐほうが確実かもしれない。まずは下に降りて台所で準備して、その隣の部屋のおばあちゃんを殺そう。その次は父親。お母さんが起きてたらそっちが先。この二人が一番難しそう。おばあちゃんの部屋からは離れてるから、騒がしくしない限り気が付かれないとは思うけど、寝室に二人ともいたらどうやって殺せば良いんだろう。今日も父親はリビングで寝ててくれれば良いんだけど。二人とも寝室にいたら喉を一気に、くらいしか思いつかない。お母さんは寝起き弱いから、きっと思い通りには抵抗できないはず。父親はどうなのかわかんない。でもお母さんより先に殺しておいたほうが安全そう。そのあとで、おじいちゃん。台風の雨と風の音でも寝てるくらいの鈍感さだから、最後で良いはず。どのみち力も無いんだし、起きてても何とかなる。どうせちょっとくらい物音がしても布団から離れるなんてありえなさそうだし。
 とりあえず着替えよう。パジャマで人殺しなんて、何だか変だ。剃刀を入れるポケットもない。時計を見た。三時三〇分。喉も乾いたし、氷水で火照る身体を冷やしたい。
 真っ黒のTシャツに手を伸ばす。失ったもの。私自身。何も残ってない、あとはこの何も感じられない身体だけなら、もう何も惜しくない。何よりこれ以上、先を超されたくもない。せめて痛みだけは感じていたい。
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