風と今を抱きしめて……
 引っ越しは、ユウと谷口で行った。

 真矢の引っ越し先のアパートには、必要な家具や電化製品はすべて揃っていた。

 一郎がユウに手配させたのだ。

 真矢は身の回りの物だけを持って来た。


 ユウは真矢が出産を来月に控えているにも関わらず、荷物にベビー用品が無い事に気が付いた。

 真矢にはベビー用品を用意するお金も、気持ちの余裕も無かったのだと知った。 



 ユウは真矢を連れ出し、モールの中のベビー用品の店へ向かった。

 真矢は店の中に入るなり、「うわー」と小さな歓声を上げた。

 店の入り口近くに並んでいた白い柔らかそうな下着を手にとり広げてみては、色違いの物と比べている。

 白の下着を手に持ち、ユウの持っている買い物かごに入れた。

 ユウは色違いや柄物五枚を買い物かごに入れた。


「そんなに沢山……」

 真矢が困惑する。


「何を言っているの。下着は何枚もいるよ。赤ちゃんけっこう汚すって」

 ユウは得意気に真矢を見た。

 ユウは、一郎に子供が生まれるまで面倒みるよう指示されたので、慌ててネットで調べたのだ。


 真矢はベビー服を手に取っては広げ又違う物を広げ、その表情は優しい穏やかな母親の顔をしていた。


 ユウは真矢の幸せそうな顔が、素直に嬉しかった。

 真矢は一枚のベビー服をやっとの思いで決めた。そ

 の間にユウは五枚ベビー服を買い物かごにいれた。

 真矢に、未だ男か女かも解らないから、ピンクやブルーは辞めてくれと言われ、慌てて黄色や白い物に変えた。

 
真矢はガーゼやタオルの小物を選んでいる。

 ユウは大量のおもちゃを抱えて来るが、真矢におもちゃは生まれてからでいいと言われ、渋々元の場所に返していた。

 それでも、店から出た時には両手いっぱいの荷物になっていた。


 真矢とユウは喫茶店で休もうと歩き出した。


「てめえ、俺に向かって何様のつもりだ!」

 喫茶店の前で若い男性が、近くにいた女性を激しく怒鳴った。



 その声に真矢の表情が怯えて、肩が少し震えた事をユウは見逃さなかった。


 それからユウは、真矢の前では女言葉しか使わなくなった…… 


 ユウは真矢の前で男という意識を全て消したのだ。

 真矢が安心して自分を頼れる事だけを考えた。
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