伯爵令嬢シュティーナの華麗なる輿入れ
「今日はどのお店に行こうかなぁ」

「ああ。屋敷を脱走して食べ歩きが趣味の令嬢なんて、縁談に響く……」

「リンってば、聞いてるの?」

 シュティーナに顔を覗き込まれて、リンは小さくため息をついた。そして懐(ふところ)から紙を取り出す。

「料理人たちから聞いたリストはこれです」

 リンが事前に屋敷で働く料理人に聞いて、港町スーザントで美味しい料理が食べられる店をリサーチしてくれていたものだ。

「お父様に連れていっていただいたのはこのお店、それから次はここ。ここはお兄様と行ったわね。まだこんなに知らないお店がある」

「食いしん坊は相変わらずですね。食べ過ぎにご注意を」

「少しぐらい太ったっていいわ」

 リンは心配そうにシュティーナの手を取った。

「これからはきちんと予定を立てて、しっかりした警護のもと伯爵様やミカル様に連れていっていただいてくださいね」

「それも楽しいけれど……もっと自由に、好きに歩きたいんだもの。わたしはリンと一緒がいいの」

「そう言っていただけるのは嬉しいのですが、叱られるのはわたくしです」

「黙っていればいいのよ」

「……ああ」

 シュティーナが人差し指を立ててニヤリと笑うと、リンは天を仰いだ。

(リンとお忍びで外出をするようになって……)

 シュティーナは指折り数えた。まだ片手分にしかならない。お忍びというよりは脱走なのだが。本来なら無断の外出は許されず、父や兄、家令のイエーオリらを伴ってしか外出することができなかったシュティーナは、勝手に屋敷を抜け出すことが楽しくて仕方がない。

「もうすぐ〝青葉の祭り〟だもの。いまごろは準備で賑やかなんだろうな」

 町から離れた屋敷にいると、人々の生活をなかなか感じることができない。どうしてこんなに、海からも町からも離れたところに屋敷を建てたのかと、父に詰め寄ったことがあった。

デザイド王国では新緑が眩しいこの季節に、青葉の祭りという春を告げるお祭りが一週間にわたって行われ、国中が海と山の恵みに感謝をする。祭りは領土ごと、さまざまに開催されるのだ。スヴォルベリでも毎年、盛大に行われる。その祭りを数日後に控え、賑やかさも増していることだろう。国の商人たちも特別な品を持ち寄り、普段手に入らない食材や品物を購入できるということもあるので、他国からも商人が入ってくる。港町スーザントはその一番大きな入口となるのだ。

「しかしシュティーナ様。伯爵様はご縁談の話を無にされないように、王都ドルゲンへ行かれているのですから」

 ウキウキと楽しい気分でいるのに、その話がきたかと思い、シュティーナは口を尖らせる。

「政略結婚と決まっているのに心が躍るわけがないでしょう」

「シュティーナ様……」

「しかもよ。お父様がゴリ押しして、二年も前に内定したっていうのによ? 聞きたい? この続き、聞きたい?」

「落ち着いてくださいませ、シュティーナ様……」

 リンは、詰め寄るシュティーナをなだめる。二年前、シュティーナが十六歳になり社交界デビューをする直前に、デザイド王国第二王子であるサネム王子との婚約が内定した。スヴォルベリ家にとって大変名誉であり、父が長期戦で根回しをしてきた甲斐もあったというものだ。にもかかわらず、その後すぐに届いた知らせは『サネム王子が行方不明のため、自宅待機をするように』というものだった。最初のうちは王家からの連絡も頻繁だった。王子が見つかり次第すぐに話を進める、結婚式の準備をはじめる、等々。しかし一年も経とうとするころには、ほぼ放置と言っていいほどになっていた。

「自宅待機ってなによ。戦に駆り出されるのかっていうの。わたしの二年間を返してと暴動を起こしてもいいくらいよ」

「やめてくださいシュティーナ様」

「そんなことしないわよ、冗談よ。安心して」

「そんな……安心、いや安心しているわけではないのですが……」

 なんと言えばいいのかリンも困っている。しかし、こんな馬鹿げた話はない。婚約者が自宅待機なんて。

正式発表があるまで内密にしていたのに『シュティーナ嬢に王家から縁談があり準備を着々と進めている』と、どこからか漏れ、噂が広がっている。そして、相手が王家とあれば、シュティーナに別の縁談が舞い込むことなどあるわけがないのだ。

「必ず、見つかりますから」

 皆、口を揃えて言う。最初は慰めと思って受け取っていたけれど、段々と馬鹿馬鹿しくなり、言われるたびに自分が情けなくなった。

「そうね。そのへんで野垂れ死にしていなければね」

シュティーナはきっぱりと言い放つ。

「シュティーナ様ったら」

(ひとりの女の運命を握っておきながら家出をするなんて。しかも王子のくせに。一生、行方不明になっていればいいのだわ)

 見ず知らずの王子に対して心の中で悪態をつき、シュティーナは親指の爪を齧(かじ)った。
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