伯爵令嬢シュティーナの華麗なる輿入れ
「いい匂いがする」

 シュティーナは鼻をくんくんと鳴らし振り向く。するとそこには、様々な色や形の焼き菓子が並べられていて、甘い香りを発していた。

「お嬢さん。焼き菓子はいかが?」

「すごくいい香り。甘いのね、きっと」

「そうさ。ほっぺが落ちるよ!」

 前のめりになり袋に数個入った焼き菓子を買った。丸や四角で乾燥果物や豆が乗っている。

「食べても良い?」

「シュティーナ様、お行儀が~」

「いいじゃない。町のひとたちは広場の露店で買い物をしてそこで食べたりしているのよ」

 歩きながら食べるのは難しいけれど、買ったものをその場で食べられるように、簡易なテーブルと椅子が設置されている。子供や若者は手に菓子や飲み物を持って歩いていることもあったが。こぼしたり落としたりしないのだろうかと最初のうちは思っていた。あれは、慣れなのだろう。

「美味しい。リンもどうぞ」
「……もう。でも、せっかくだから……本当に、いい香りですね」

 乗ってきたリンの様子を見てシュティーナは嬉しくなった。

(リンは、女友達だと思っているもの。楽しいなぁ)

 こうして普通の町娘のように、出かけて歩くことが楽しい。なんだかんだ文句を言いながらつき合ってくれるリンにも感謝をしなければ。
 ふと、シュティーナは食欲を刺激する香ばしさに思わず目を閉じた。

(ああ、なんていい匂い。どこからかしら)

「あ、シュティーナ様」

 匂いに導かれて思わず数歩駆けてしまう。

「リン、見て。長い串に焼いたお肉が刺さっているわ」

「あれも持って食べるものですね」

「歩きながらだと、ドレスを汚してしまうわね」

 ふたりの会話を聞いていた、笑顔の優しい店主が話しかけてきて広場の反対側を指さした。

「お嬢さんたち、これはあそこの店でも食べられますよ」

「そうなの?」

「ああ。座ってゆっくりできますし。その高価なドレスも汚さずに済むでしょう」

「まぁ、ありがとう! リン、早くっ。行きましょう」

 待ちきれず、シュティーナは店主が指さした方向しか見ていない。

「えっちょっと、お待ちください。シュティーナ様!」

 シュティーナは裾を翻し教えられた店を目指し駆けだした。

「急に走らないでいただけますかっ。待って、転ぶと……」

 リンに注意された直後、シュティーナは石畳の隙間に躓いてバランスを崩した。顔に巻いていた水色のスカーフが外れて空を舞う。

「いやぁっ」

 倒れこみそうになる寸でのところで、シュティーナの体はなにかに受け止められて、ふわりと体勢を整えられる。シュティーナは一瞬なにが起きたのか飲み込めずにいたが、受け止めたのは人間の力強い腕だったから、思わずそれを辿って視線を上げた。

「大丈夫でしたか?」

 艶のある低い声、青空色の瞳を持つ青年がこちらを見ている。淡い栗色の長い髪は一本に結ばれ前に垂れていた。その束が、抱き抱えられていたシュティーナの頬に触れた。

(え、なに……これ……誰)

「お怪我は」

「あ、ありま、せん……すみま、せ」

「シュティーナ様ぁ」

 追いついたリンが声をあげる。

「ですから走らないでくださいと申しましたのに! 心臓が止まりそうです!」

「こ、この方が助けてくださったので」

「まぁ!」

「お付きの方ですか? 彼女、足をくじいてなどいないと良いのですが」

「まぁまぁ!! どこか痛いところはございませんか?!」

「さ、叫ばないでちょうだい、リン。大丈夫よ。どこも痛くないわ」

「それは良かった」

 シュティーナの返事を聞いて、青年は胸をなで下ろしている。落としたスカーフも拾い上げ、シュティーナの肩にふわりと巻いてくれた。

「あり、が、とうご」

 言葉が出てこず、うまくお礼も言えない。

「シュティーナ様にもしものことがあったら、リンは縛られ荘園と町じゅうを牛に引きずり回されたあとにあのお肉のように串刺しです!」

 リンは己の肩を抱いて頭を振った。その様子を見ていた青年が宥めるように言う。

「おふたりの主様は拷問好きなのですか」

「ちが、お父様はそんなことしないわ!」

 シュティーナが泣きそうな顔で抗議すると、彼は柔らかく笑った。優しい目は、角度で色が銀色にも見える。

(不思議だわ。この感覚は)

「もう勝手に走り出さないでくださいませね。なにかあっては取り返しがつません。小さい子供じゃないのですから。言うことを聞いていただけないのでしたらもうご一緒しません!」

 リンにビシッと怒られ、シュティーナは肩を竦め「ごめんなさい」と素直に謝る。

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