コガレル ~恋する遺伝子~


「ある頃、いつも一番に出社して、皆のデスクを拭いてる女子社員がいるのに気づいた。誰に強要された訳でもないだろうに」

 社員の朝のコーヒーやお茶も用意してたそうだ。
 誰もがそこにあるのが当たり前と思ってた物は、陰の労力があってこそってのを親父は見てた。

「後から来た社員を呼び止めて名前を教えてもらったら、それが弥生君だった」

 名古屋で伯母さんから彼女の名前を聞かされてたから、こんなに近くにいた事に驚いたらしい。

「クビにしたのは?」

「あれは知らないところで話が進んでた。申し訳ないことをした」

「それで家に呼んだ?」

 親父は首を横に振った。

「呼んでない。
お前が彼女を招き入れたんだろ。
強い縁だと驚いた」

 強い縁か…

「消えた弥生の母親を探そうと思わなかった?」

「他に好きな人がいるって出て行ったからね」

 当時は弥生の母親も、上手く立ち回れなかった自分自身も責めたそうだ。

「お前らの母さんと出逢って幸せに暮らしてたら、いつの間にか彼女を忘れたよ」

 新しい出逢いがあれば、俺も弥生を忘れる時が来る…?

 無理だ。
 忘れるなんて無理だ。
 誰と出逢ったとしても、弥生と比べてしまうだろう。
 弥生に誰か好きな人が現れたら…
 彼女に想われる誰かは幸せだ。
 考えただけで胸が張り裂けそう。
 俺を忘れるなんてあって欲しくない。

 そこまで思い返した時、航空機内の閉塞感も手伝ってか息苦しさを覚えた。


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