君はガーディアン ―敬語男子と♪ドキドキ同居生活―
 話は、少しだけ前に遡る。

 母の手際の良さ、手回しの良さは相変わらずで、娘の私はいつも驚かされるのだけれど、お葬式の手配までされているのはびっくりだった。

 そんなわけで、病室で母が息を引き取り、(結局母の死に目には会えなかった)あれよあれよと手続きは進み、通夜が終わり、告別式が終わり、退去一日前のアパートで、一人呆然としていた時の事だ。

 母が、次に会う時まで、生きていられるかわからないから、と、あらかじめ渡されていた、『引き継ぎノート』のページをぱらっとめくってみた。

 キングジムのノートカバー(A5サイズ、赤)に入ったコクヨキャンパスノート(A5、B罫70枚)には、見覚えのある母の文字で書き残された大量の文章があった。

 ところどころ、日記から切り貼りされているノート1冊と、少し薄い(A5、B罫、30枚)方のノートには、各種連絡先が残されていた。

 そこには、もしかしたら、と、思っていた、私の父についての記述もあった。

 生前あれほど教えてくれなかった父の名前。生き別れたのか、死に別れたのか、結局、母は教えてくれなかった。私の戸籍謄本を見ればわかったのかもしれないけれど、母が敢えて口をつぐむ事を推し量り、私はそれを確かめずにいた。
 ……そこには、とある有名人の名前があった。

 見覚えのある名前を、Google検索にかけてみると、やはり、私の記憶に間違いは無かった。
 そこには、日本有数の財閥の元会長の名前が記されていた。
 元、というのは、彼が既に故人だったからだ。ニュースになっていたのだろうけれど、私は母の対応に追われて気づかなかった。
 父もまた、病を得ていたようで、時期的に、父が逝ってから母も逝った事になる。

 父の死を知ったから、このノートを残す気になったのか、自分の死後、一人残される私を心配していたのか、母が生きているうちに確かめる事ができなかった事が悔やまれる。

 もしかしたら、私は認知されていなかったのかもしれない。
 元財閥会長となれば、婚外子の一人二人いてもおかしくないだろう。
 だから、母は、私に係累がいないこと、頼る事ができないと繰り返し言っていたのではないだろうか。

 そして、検索によって、どうも私には弟がいるらしいという事がわかった。
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