【長編】戦(イクサ)林羅山篇
大御所様の墓守
 話を静かに聴いていた秀忠が側
にいた道春の弟、東舟(信澄)を
見た。
「東舟、そなたはどうじゃ」
「お恐れながら、上様にはすでに
お決めになっておられましょう。
この上、私をこの議論の火の中に
投じようとするは酷にございま
す」
「こやつめ、逃げおったな。わし
は天海の申すことがもっともだと
思う。たしかに崇伝の申すことは
民に受け入れやすいかもしれん。
だが父上が豊臣家を滅ぼしたのは
自分が神になるためとの誹りを受
けるかもしれん。これは天海の申
す権現も同じように、帝に成り代
わろうとする謀略との誹りを受け
るやもしれん。どちらも険しい道
ならばわしは天海の申す権現を選
ぶ。これを帝に認めさせることこ
そ、これから天下を治めるわしの
器量を世に示すことになろう。ど
うじゃ東舟」
「はっ、良きご決断にございま
す。恐れ入りました」
 崇伝はこの結果に不満顔で退去
した。
 ひとり廊下を歩く崇伝の後を東
舟が追った。
「崇伝殿、お怒りはごもっともに
ございます。しかし、これで天海
殿を政務から遠ざけることができ
るではありませんか」
 崇伝は立ち止まり、表情を変え
た。
「それはそうじゃが、忌々しい」
「崇伝殿にはこれから上様を支え
ていただかなければなりません。
その重責を思えば、大御所様の墓
守など天海殿にお任せすればよろ
しいのではないですか」
「そなたは何を企んでおるの
じゃ」
「企むなどとんでもございませ
ん。日頃、兄がお世話になってお
ります。そのご恩返しがしたいだ
けにございます」
「まあ、そういうことにしておこ
う。そなたは上様にたいそう目を
かけられておるようじゃな。これ
からもよろしく頼むぞ」
「恐れ入ります。こちらこそよろ
しくお願い申し上げます」
 この後、崇伝は家康に関わるこ
とには直接、口を挟まなくなり、
東舟を仲立ちとして情報をやり取
りした。
 東舟は天海と京都所司代、板倉
勝重の次男、重昌と共に江戸を発
ち、京で家康の神号を朝廷に奏請
した。
 禁中並公家諸法度で幕府の管理
下に置かれている後水尾天皇や公
家に異論を唱えることなどできる
はずもなく権現号の勅許が下され
た。
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