【長編】戦(イクサ)林羅山篇
長吉の死
 同年、十一月
 道春は江戸にいて、亡くなった
藤原惺窩が遺した文書を「惺窩文
集」として刊行する準備や漢文の
朱子詩集伝を和訳する仕事に専念
していた。そこに京から「次男の
長吉が天然痘を患い死んだ」との
知らせが届いた。それからすぐ、
亡くなった長吉が招いているかの
ように道春の身体に腫物ができ
た。
 道春は幕府に暇を請い、京の自
宅に戻ると長男、叔勝と三男、吉
松も天然痘にかかっていたが、亀
の献身的な看病と亀の父、荒川宗
意の力添えにより快方に向かって
いた。
「旦那様、長吉が……」
 道春の顔を見て気丈に振舞って
いた亀の気が緩み、涙がとめどな
く流れた。
 道春にはかけてやる言葉が見つ
からず、亀を抱きしめるしかでき
なかった。
 宗意が慰めるように言った。
「長吉が二人を守ってくれたの
だ。これだけで治まったことを良
しとせねばな」
 道春の目にも涙が溢れた。
「すまない。皆、すまなかった。
日頃、偉そうに言っている私が、
薬草や医術の書を読んでいる私
が、いざという時に何もしてやれ
なかった。ふがいない父を叱って
くれ」
「道春殿、自分を責めてはなりま
せん。あなたはもっと大切な仕事
をされているのです。この世を良
い方向に導く、誰にも成しえない
仕事です。家に目を向けていては
成し遂げられるものではありませ
ん。そうでなければ長吉の死は悲
しいだけではありませんか」
「旦那様、私はもう大丈夫です。
長吉のためにも落ち込んでなどい
られません。旦那様も仕事にお戻
りください。子らが尊敬する旦那
様でいてもらわなければ」
「亀。そうだな。皆に報いるに
は、もっともっと良い世にしなけ
ればな。父上、亀のことよろしく
お願いいたします」
「はい。ご存分に働きなさい」
 道春は長吉を弔うとすぐにやり
かけにしていた朱子詩集伝の和訳
を終わらせた。
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