【長編】戦(イクサ)林羅山篇
反乱軍鎮圧
 海と陸から大砲による砲撃で反
乱軍は次第に劣勢になった。それ
でも幕府軍は降伏を呼びかける気
はなく全滅するまで攻撃の手を緩
めなかった。
 破壊された原城には女子供、老
人を含めて三万人以上の死体が横
たわり、その中に四郎の死体も
あった。
 その後、反乱の責任をとらされ
た島原藩主の松倉重治は斬罪にな
り、天草藩主の寺沢堅高は自刃し
た。
 この反乱以降、表立ってキリシ
タンを名乗る者はいなくなり、隠
れキリシタンは孤島に逃れて細々
と暮らすのみとなった。もとはと
いえば凶作と藩主の失政による反
乱だったが反乱軍がキリシタンの
救世主のように益田四郎を祭り上
げたことが幕府のキリシタン弾圧
を正当化させる結果となった。
 家光はこの反乱を教訓として武
家諸法度を一部訂正し、将軍に反
逆する者があれば幕府の許可を得
ることなく近隣の諸大名と協力し
て鎮圧できるようにした。また、
領国が疲弊していることにも配慮
して、商船に限っては五百石積以
上の大型船の建造を許すことにし
た。
 家光にとって最大の難局を乗り
越えたことで自信を深め、幕府の
組織改革も一気に押し進めた。
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