【長編】戦(イクサ)林羅山篇
世継ぎ
 正保二年(一六四五年)
 大飢饉も峠を越し、民衆の暮ら
しも少しずつ落ち着きを取り戻し
ていた。
 家光はなおも取締りを強化し治
安の維持と凶作への備えを命じ
た。
 四月に家綱が元服し、わずか五
歳で正二位となり、それにとも
なって朝廷から東照大権現に宮号
が与えられ、これより日光東照社
が日光東照宮となった。
 道春は六月から体調を崩し、
もっぱら春斎が道春の代わりを務
めた。この働きにより春斎は法眼
の位を授けられた。
 法眼は法印につぐ僧侶の位で道
春の民部卿法印と同じように儒学
者としては認められていなかっ
た。

 正保三年(一六四六年)
 一月八日に家光の側室、玉が四
男となる徳松を産んだ。
 玉は春日局の後を引き継ぎ大奥
を取り仕切っている万に以前から
仕え、春日局の部屋子となった。
 万にとっては心強い味方の大手
柄だったが、家臣らはこうも違う
側室から次々に男子が産まれると
世継ぎ問題にならないかと不安が
よぎった。それをよそに家光は正
月早々からめでたいと喜んだ。
 道春はまだ病が癒えず床につい
ての正月となった。心配した松平
信綱や酒井忠勝が度々見舞いに訪
れ、信綱の連れて来た侍医数人の
治療により回復していった。
 家光は道春の病も心配だったが
兵法師範の柳生宗矩が深刻な病と
なり、京の医者、武田道安を呼ぶ
など治療にあらゆる手を尽くして
いた。しかしその甲斐もなく三月
にこの世を去った。
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