【長編】戦(イクサ)林羅山篇
浪人対策
 慶安五年(一六五二年)
 幕府は尾張、紀伊、水戸の御三
家を江戸詰めとし家綱を補佐する
よう命じた。そして浪人対策に、
これまで大名、旗本が死亡した後
での養子縁組を認めず、病気など
で突然死亡した時はお家断絶とな
り、これが浪人を増やすもとに
なっていたので、五十歳未満の大
名、旗本には許可することにし
た。しかし再び浪人だった別木庄
左衛門らが騒乱を計画しているこ
とが分かり、捕らえて未然に防ぐ
ことが出来たが、さらに浪人の処
遇改善をする必要に迫られた。
 道春はこの頃、春斎の長男、春
信の教育に生きがいをみつけてい
た。七月には春徳に次女、乙女が
産まれ、またにぎやかになった。
 九月に元号が改められることに
なり、道春も協議に加わって承応
に改められた。

 承応二年(一六五三年)
 春斎は四月、家光の三回忌に酒
井忠勝の供をして日光山に登っ
た。それより遅れて道春は八月に
なって春徳、人見友元らと共に登
り、家光の霊廟を参拝した。老い
た自分よりも若い家光が先に逝く
など想像もしていなかった。
「権現様は自然の理によって天下
を治められたが、上様は自然に苦
しめられた。しかしこうして天下
は治まり、お若い家綱様を良い家
臣が補佐して難局を乗り切ってお
ります。これは上様が基礎をしっ
かりと築かれたおかげ、どうかこ
れからも天下泰平の世をお守りく
ださい」
 道春はそう言って家光の霊廟を
拝んだ。そして日光山を下りると
下野の足利学校などを巡って江戸
に戻った。
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