【長編】戦(イクサ)林羅山篇
迫真の芝居
「道春、片桐殿はのう、豊臣家か
ら逃げてこられたのじゃ。先の方
広寺の一件、わしは何の疑念もな
いと言うたのに、淀殿がそれを逆
手にとって、世間にわしが因縁を
つけていると触れ回った。それだ
けならわしは何にもとがめるつも
りはない。現に方広寺の梵鐘はそ
のまま寺に納まっておる。しかし
じゃ。淀殿は交渉役にしたこの片
桐殿を責め、命まで奪おうとした
のじゃ。片桐殿がどれだけ豊臣家
のために心血をそそがれたこと
か。わしは悔しい。老いぼれたと
いうてぼろ草履のように扱うと
は…」
 家康は言葉を詰まらせ、声を出
して男泣きをした。それにつられ
て且元も泣き出した。
 道春はそれが演技だとは分かっ
ていたが、心をかき乱され、つら
れて泣きそうになった。それでも
かろうじて冷静さを装った。
 且元は心底、感動していた。
「大御所様。わたしのような者の
ためにわがことのようにお心を傷
め、お嘆きいただくとは…。この
且元、大御所様にこの余生いくば
くもない命、捧げまする」
「なにを申される片桐殿。そなた
はわしよりも長生きしてこの徳川
のために力を貸してほしいの
じゃ」
「もったいなきお言葉。恐れ多い
ことにございます」
 道春は家康が古狸などと陰口を
言われ、警戒されながらも多くの
者から慕われているのが、この時
分かったような気がした。そして
この迫真の芝居を自分に見せるこ
とで裏切ることのないようにと諭
しているのだと感じた。それと同
時にいよいよ大坂攻めが始まるの
だと心を引き締めた。しばらく二
人の興奮が冷めるのを待った。
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