【長編】戦(イクサ)林羅山篇
三人の法師武者
 慶長十九年(一六一四年)十月
十一日
 家康は駿府を出発し、二十三日
に京、二条城に入った。
 同行した天海、崇伝、道春は南
禅寺金地院に入り「年代略」「神
皇系図」などの大量の古記録を他
の僧侶も加わり五十人で写す作業
に専念した。
 十一月十日に秀忠が江戸から到
着し伏見城に入った。これにより
家康は十三日に大坂に向けて出発
することにしていたが、天海、崇
伝が日が悪いと凶を託宣したので
十五日に延期し出発した。
 道春は崇伝と医者で僧侶の片山
宗哲と一緒に家康の側につき従っ
た。
 十七日に奈良から住吉に向かう
時、家康は道春、崇伝、宗哲に武
具を身に着けるように命じた。
 崇伝、宗哲の鎧姿は着慣れてい
ないと分かる着心地の悪さをみせ
ていた。それに比べ道春の鎧姿は
しっくりしていた。
 崇伝が体をゆすりながら何気な
く言った。
「道春殿は似合いますな」
 道春はとぼけて、
「そうでしょうか。自分ではよく
分かりません」
 そう言ったが、久しぶりの鎧に
気分が高揚し、笑みがこぼれそう
になるのを隠すのがやっとだっ
た。
 家康と大勢の家臣団の前に三人
が鎧姿で現れると、家康がニヤッ
と笑って言った。
「どうじゃ。我らのもとには三人
の法師武者がついておるぞ」
 辺りがドッとざわつき和やかに
なった。
 これは家康が好んだ能、幸若舞
の「堀河夜討」の一節に「我らが
手に三人の法師武者あり」を再現
し、大戦を前に士気があがるのを
狙ったものだった。
(道春め、鎧を着て生き生きし
おって。あやつにまた頼ることに
なったか)
 家康の目には緋色の羅紗地の陣
羽織をまとった小早川秀秋と道春
がだぶって見えていた。
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