月へのスパート
月へのスパート <上> ~運命が変わる時、いつも月に向かって走っていた~
 つい、先日までは夕暮れもそんなに早いとは感じることなく、ただ、記憶にも残らないくらい平凡な日常を過ごしていた。10月半ば、いつの間にかこの数日間で外は肌寒くなった。夜の22時50分、大通りは数台の車とトラックが行き通っている。今夜、雲ひとつ無い澄みきった夜空には、綺麗な満月が輝いている。私が歩く方向の地平線からの角度で60度くらいに月がちょうど位置するものだから、私は、まるでこの月に向かって大通りの歩道を歩いているような不思議な感覚だった。イヤホンを耳に付けスマートフォンに入っている音楽を聴きながら…


 「修(しゅう)くん、明日の集合時間って9時に正門前だよね?」
「あぁ、俺はバスでみんなと行ったってどうせ試合出られないから、遅れたら勝手に1人で行くよ」
「だめだよ、どうせわざと遅刻するでしょ? 修くん、足怪我してもうすぐ2カ月くらい経つよね。練習中は1人別メニューかもしれないけど、試合の時はみんなと一緒なんだからね」
「わかったって。そういえば、紗英(さえ)、お前なんで試合用の靴の右足用だけ下駄箱の中に入れたままなの?」
「えっ? あれはね、修くんの右足の怪我が早く治ってほしいからだよ。靴の中にお守りを入れてあるの。怪我が治るまで毎日お祈りしてるんだ。早く治りますように、って」
紗英は私の顔を見てはにかんだように笑っていた。顔を赤らめ少し恥ずかしそうだった。
 2006年の春、高校3年生になった私は、清少紗英(せいしょうさえ)という同じ学年の女性と共に高校の陸上部に所属していた。彼女は黒の色合いが濃い髪色で肩より少し短めの髪型であり、背は160センチ程で普通の体型だった。決して根暗な性格ではないが、校内では目立つような存在ではなかった。ゴールデンウィークが過ぎ、5月の半ばというのにお昼時の太陽は眩しかった。学内に佇むイチョウ並木で太陽光が遮られる瞬間に少し安らぎを感じた。土曜日でお昼までの授業であり部活の練習も試合前の各自調整だったので、私は紗英と2人で歩きながら帰宅して、そのまま彼女を家まで見送ろうとした。
「修くん、見送りしなくても大丈夫だよ。無理に歩きすぎると足に良くないよ。私、このあとバイトがあるからもう行くね。明日はちゃんと9時に来るんだよ。今晩メール送るから、また明日ね。バイバイ!」
 私は、この年の春、17歳になったばかりであり、右足に下腿疲労骨折(かたいひろうこっせつ)という怪我を負ってしまった。陸上の練習でジョギングをしていた時に、右足の脛の内側が急に痛くなり走れなくなった。骨に髪の毛のような1本の線が入った状態で、杖などが必要な大袈裟な怪我でもないのに、歩くたびに右足がひきつるような痛みを伴っていた。疲労骨折よりも普通の骨折のほうが完治は早いのだ。5月になってやっとまともに歩けるようになったが、まだしばらく走ることはできなった。走ると跳ね上がった分体重の衝撃が片足にかかるため、ジョギングもほとんどできない状態だった。
 その日の夜、私は風呂から上がり足をマッサージしていた。携帯電話を見ると23時を過ぎていたのでぼちぼち寝ようかと布団を敷く準備をしていたら、携帯に紗英からのメールが届いた。「修くん、もう寝たかな? 私はさっきまでバイトだったよ。早く帰って私も寝るね。修くんもちゃんと明日9時に集合だよ。おやすみなさい。P・S 今夜は綺麗な満月だよ」紗英は、私の母親以上に母親らしくしっかりしたことをいつも言っていた。翌日は県のトラックレースの大会があるのに、こんな夜遅くまでバイトをしながら次の日に試合を迎える彼女に対して私はとても感心していた。5月の半ば、部屋の窓から外の景色を見ると、夜空には綺麗な満月が輝いていた。
 私が住んでいた街は瀬野(せの)市という市である。人口は約57万人であり、私は瀬野高校という県立の高校に通っていた。最寄り駅にJR瀬野駅という駅がある。駅周辺は繁華街であり、駅の北口のロータリーの前を「瀬野通り」という片側3車線の大通りが横切っている。大通り沿いには様々なチェーン店などが駐車場付きで立ち並んでいる。ロータリーを出て左に曲がり、500M程離れた瀬野通り沿いに瀬野高校は位置している。駅から高校までは歩いて7分くらいで着く。大通りの歩道と高校の運動場の間には高さ30メートル程の防球ネットが張ってある。私が高校2年生の時に瀬野高校は創立60周年を迎えた。
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