月へのスパート
6月11日、この日は秋に行われる駅伝大会に向けてのロードレース大会が大村競技場で行われた。陸上部の女子の長距離メンバーは全員5000Mのロードレースへの出場だった。
「紗英、今日こそ、緊張せずに落ち着いてな!」
「うん、今日こそ、頑張るよ!」
「靴の紐ちゃんと締めてね。レース中に靴の紐がほどけるのはプロとして失格だぞ」
「はーい! 修くんからお守りを貰ってちゃんと左足の靴の中にずっと入れておいたよ。靴もとっても喜んでた! じゃあ、行ってきます!」
紗英はとても元気そうに会場内へ入っていきスタートの準備に備えた。なんだか、自信満々な様子であった。スタート前にトラック内でジャンプを繰り返して体をひねくり返し、緊張をほぐしていた。一般的に女子の高校駅伝は5区間から成り立ち、アンカーの区間は5キロである。紗英は駅伝のレースと同様な意気込みでこの日のレースに臨んでいた。レースが始まった。この日の紗英の走りは立ち上がりから素晴らしいものであった。トラックの会場内を出て、ロードを走っている間もペースが落ちることはなくフォームの乱れもほとんど無かった。紗英のタイムは15分48秒で彼女のベストタイムだった。紗英はゴールした瞬間に小さくガッツポーズをしていた。おそらく、本人の腕時計でタイムを確認して自己ベストを出したのだと確信したのだろう。走り終えた紗英はユニフォーム姿で私の所に走ってやってきた。
「修くん! やったよ! 自己ベストだったよ!」
「うぉー! マジか!? やったな!」
紗英は感激のあまり私に抱きついてきた。私と紗英は笑顔でとても喜んでいた。
「ありがとう! 修くんから貰ったお守りのおかげだよ! お守りの効果が効いたんだよ!」
紗英は興奮して笑顔で言った。
「そうだな、俺に感謝しろよ! なんて冗談。紗英、今日の走りは本当に綺麗だったよ」
「私、最近いろいろと上手くいかないことが多くて本当に落ち込み気味だったから、今日は本当に嬉しかった! 修くん、ありがとう!」
私達は2人でとても盛り上がっていた。興奮冷めやらぬまま、陸上部は解散を行い帰りのバスの中で私と紗英は一緒の席に並んで座った。紗英はしばらくの間ぼんやりと外の景色をバスの中から見ていた。
「ねぇ、修くん、見て。満月が綺麗」
私も身をかがめて紗英に近づいて外を見た。
「あぁ、綺麗だな」
「少し赤っぽいね。なんだか幻想的な色」
この時期は、夏至に近い満月であったため、とても低い位置に赤くて大きな満月が輝いていた。2人でしばらくバスの中から満月を眺めていた。やがて、紗英は安心しきった様子でバスの中でそのまま深い眠りに就いていた。気が付いたら、私もそのままバスの中で寝ていた。バスは高速のインターを降りて、あと10分程で瀬野高校に到着するタイミングで私は1人目を覚ました。ふと右隣を見ると、紗英はまだ眠ったままだった。
「紗英、着いたよ」
私は紗英にそっと声をかけた。彼女はなかなか目を覚まさずに疲れきっていた様子だった。
「紗英、大丈夫か?」
私は彼女の体を少しゆすった。
「はっ! 修くん、ごめん。もう着いた?」
紗英は慌てて目を覚ました。
「慌てなくても大丈夫。今ちょうど着いたよ。さぁ、一緒に帰ろう」
瀬野高校の正門の時計台を見ると、時刻はちょうど20時だった。空はすっかり暗くなっていた。高校の正門前にバスが2台並んで停まり私達はバスを降りた。そのまま陸上部は解散の挨拶を行い各自帰宅となった。この日は私の母が瀬野高校まで車で迎えに来てくれていた。私は母が運転する深緑色のスズキのワゴンRを発見し母のところへ向かった。
「紗英ちゃんも送って行くよ。修ちゃん連れておいで」
「うん、ちょっと待って」
私は母にそう言って車内に荷物を置き、紗英を連れてきた。
「あっ、お母さん、わざわざすみません。ありがとうございます」
紗英は丁寧な口調で話し、少し恥ずかしそうにして車の後ろに乗った。私の母はよく紗英も一緒に車に乗せて練習後や試合後に彼女の家まで送っていた。母の仕事はシフト制で日勤、早番、遅番、夜勤と順にサイクルがあり、日勤や早番の時などは母に用事がない限り私を送り迎えすることができた。また、当時、私が足を怪我していたために、母は怪我のことを心配して可能なときは極力送り迎えをしてくれていた。母は私と紗英を車に乗せ、私達は紗英の家へと向かった。
「紗英ちゃん、今日はレースどうだった?」
「はい、今日は自己ベストが出ました!」
紗英が明るく笑顔で答えた。
「そう! よかったね!」
母も車を運転しながらとても嬉しそうな表情だった。
「俺のお守りのおかげだよね」
私が助手席からふざけて言った。
「もう、修ったら」
母が苦笑いして言った。
「はい! 修くんから頂いたお守りのおかげです。お母さんも一緒に選んでくれたんですよね。おかげ様です。本当にありがとうございます」
紗英はにこにこして話していた。
「修はね、最初、諏訪神社に行きたいって言ったのよ。そしたら、「違う。ここの神社には俺が探しているお守りは無い」なんて言うから…」
母が面白そうに語りだした。
「いやー、もうその話しのくだり言わなくっていいって」
私は母に口止めするかのように恥ずかしい気分で早口で言った。
「そしたらね、修はお守りの写メを見せてくれたのよ。このピンクのお守りだって。これは諏訪神社のじゃなくて住吉(すみよし)神社のものだよって教えたの。修は、お守りはどこの神社も全部同じだと思ってたみたい。普通、お守りには神社の名前刻んであるのにね」
母は運転したまま笑いながら話していた。紗英も母の話を聞きながら笑っていた。私は慌てて自分をフォローするかのように答えた。
「いや、お守りに神社の名前が刻んであるなんて、知らないと分かるわけないだろ」
「はははは!」
帰りの車の中、3人で笑っていた。私は高校時代、恥ずかしながら人一倍世間知らずの人間だったのだ。紗英を家の前で降ろして彼女を見送った後、私と母も自宅に着いた。この日の夕飯はハンバーグだった。私は母の手作りのハンバーグが大好物であった。特に、手作りで作るタレが好みであり、食欲旺盛な高校生にとってご飯何杯でもいけるほどであった。初夏の時期、夜はまだ過ごしやすい気温であった。母はベランダから洗濯物を取り込み、洗濯物をたたみ終わったあと、ビールを飲みながらテレビでワールドカップを観ていた。この年はワールドカップが開催された年であり、母にとってテレビでのサッカー観戦が仕事後の何よりの楽しみであったのだ。私はそんなくつろいでいる母の様子を見ながら、母と弟と私が夕飯を食べ終わったお皿を洗った。その後、私は風呂に入ってから部屋に戻り勉強を始めた。この頃はちょうど中間テストが始まる1週間ほど前の時期であり、また、模擬試験なども重なってくることから夜は少しずつ勉強に取組むようにした。
「紗英、今日こそ、緊張せずに落ち着いてな!」
「うん、今日こそ、頑張るよ!」
「靴の紐ちゃんと締めてね。レース中に靴の紐がほどけるのはプロとして失格だぞ」
「はーい! 修くんからお守りを貰ってちゃんと左足の靴の中にずっと入れておいたよ。靴もとっても喜んでた! じゃあ、行ってきます!」
紗英はとても元気そうに会場内へ入っていきスタートの準備に備えた。なんだか、自信満々な様子であった。スタート前にトラック内でジャンプを繰り返して体をひねくり返し、緊張をほぐしていた。一般的に女子の高校駅伝は5区間から成り立ち、アンカーの区間は5キロである。紗英は駅伝のレースと同様な意気込みでこの日のレースに臨んでいた。レースが始まった。この日の紗英の走りは立ち上がりから素晴らしいものであった。トラックの会場内を出て、ロードを走っている間もペースが落ちることはなくフォームの乱れもほとんど無かった。紗英のタイムは15分48秒で彼女のベストタイムだった。紗英はゴールした瞬間に小さくガッツポーズをしていた。おそらく、本人の腕時計でタイムを確認して自己ベストを出したのだと確信したのだろう。走り終えた紗英はユニフォーム姿で私の所に走ってやってきた。
「修くん! やったよ! 自己ベストだったよ!」
「うぉー! マジか!? やったな!」
紗英は感激のあまり私に抱きついてきた。私と紗英は笑顔でとても喜んでいた。
「ありがとう! 修くんから貰ったお守りのおかげだよ! お守りの効果が効いたんだよ!」
紗英は興奮して笑顔で言った。
「そうだな、俺に感謝しろよ! なんて冗談。紗英、今日の走りは本当に綺麗だったよ」
「私、最近いろいろと上手くいかないことが多くて本当に落ち込み気味だったから、今日は本当に嬉しかった! 修くん、ありがとう!」
私達は2人でとても盛り上がっていた。興奮冷めやらぬまま、陸上部は解散を行い帰りのバスの中で私と紗英は一緒の席に並んで座った。紗英はしばらくの間ぼんやりと外の景色をバスの中から見ていた。
「ねぇ、修くん、見て。満月が綺麗」
私も身をかがめて紗英に近づいて外を見た。
「あぁ、綺麗だな」
「少し赤っぽいね。なんだか幻想的な色」
この時期は、夏至に近い満月であったため、とても低い位置に赤くて大きな満月が輝いていた。2人でしばらくバスの中から満月を眺めていた。やがて、紗英は安心しきった様子でバスの中でそのまま深い眠りに就いていた。気が付いたら、私もそのままバスの中で寝ていた。バスは高速のインターを降りて、あと10分程で瀬野高校に到着するタイミングで私は1人目を覚ました。ふと右隣を見ると、紗英はまだ眠ったままだった。
「紗英、着いたよ」
私は紗英にそっと声をかけた。彼女はなかなか目を覚まさずに疲れきっていた様子だった。
「紗英、大丈夫か?」
私は彼女の体を少しゆすった。
「はっ! 修くん、ごめん。もう着いた?」
紗英は慌てて目を覚ました。
「慌てなくても大丈夫。今ちょうど着いたよ。さぁ、一緒に帰ろう」
瀬野高校の正門の時計台を見ると、時刻はちょうど20時だった。空はすっかり暗くなっていた。高校の正門前にバスが2台並んで停まり私達はバスを降りた。そのまま陸上部は解散の挨拶を行い各自帰宅となった。この日は私の母が瀬野高校まで車で迎えに来てくれていた。私は母が運転する深緑色のスズキのワゴンRを発見し母のところへ向かった。
「紗英ちゃんも送って行くよ。修ちゃん連れておいで」
「うん、ちょっと待って」
私は母にそう言って車内に荷物を置き、紗英を連れてきた。
「あっ、お母さん、わざわざすみません。ありがとうございます」
紗英は丁寧な口調で話し、少し恥ずかしそうにして車の後ろに乗った。私の母はよく紗英も一緒に車に乗せて練習後や試合後に彼女の家まで送っていた。母の仕事はシフト制で日勤、早番、遅番、夜勤と順にサイクルがあり、日勤や早番の時などは母に用事がない限り私を送り迎えすることができた。また、当時、私が足を怪我していたために、母は怪我のことを心配して可能なときは極力送り迎えをしてくれていた。母は私と紗英を車に乗せ、私達は紗英の家へと向かった。
「紗英ちゃん、今日はレースどうだった?」
「はい、今日は自己ベストが出ました!」
紗英が明るく笑顔で答えた。
「そう! よかったね!」
母も車を運転しながらとても嬉しそうな表情だった。
「俺のお守りのおかげだよね」
私が助手席からふざけて言った。
「もう、修ったら」
母が苦笑いして言った。
「はい! 修くんから頂いたお守りのおかげです。お母さんも一緒に選んでくれたんですよね。おかげ様です。本当にありがとうございます」
紗英はにこにこして話していた。
「修はね、最初、諏訪神社に行きたいって言ったのよ。そしたら、「違う。ここの神社には俺が探しているお守りは無い」なんて言うから…」
母が面白そうに語りだした。
「いやー、もうその話しのくだり言わなくっていいって」
私は母に口止めするかのように恥ずかしい気分で早口で言った。
「そしたらね、修はお守りの写メを見せてくれたのよ。このピンクのお守りだって。これは諏訪神社のじゃなくて住吉(すみよし)神社のものだよって教えたの。修は、お守りはどこの神社も全部同じだと思ってたみたい。普通、お守りには神社の名前刻んであるのにね」
母は運転したまま笑いながら話していた。紗英も母の話を聞きながら笑っていた。私は慌てて自分をフォローするかのように答えた。
「いや、お守りに神社の名前が刻んであるなんて、知らないと分かるわけないだろ」
「はははは!」
帰りの車の中、3人で笑っていた。私は高校時代、恥ずかしながら人一倍世間知らずの人間だったのだ。紗英を家の前で降ろして彼女を見送った後、私と母も自宅に着いた。この日の夕飯はハンバーグだった。私は母の手作りのハンバーグが大好物であった。特に、手作りで作るタレが好みであり、食欲旺盛な高校生にとってご飯何杯でもいけるほどであった。初夏の時期、夜はまだ過ごしやすい気温であった。母はベランダから洗濯物を取り込み、洗濯物をたたみ終わったあと、ビールを飲みながらテレビでワールドカップを観ていた。この年はワールドカップが開催された年であり、母にとってテレビでのサッカー観戦が仕事後の何よりの楽しみであったのだ。私はそんなくつろいでいる母の様子を見ながら、母と弟と私が夕飯を食べ終わったお皿を洗った。その後、私は風呂に入ってから部屋に戻り勉強を始めた。この頃はちょうど中間テストが始まる1週間ほど前の時期であり、また、模擬試験なども重なってくることから夜は少しずつ勉強に取組むようにした。