ハニートラップにご用心
「桜野さん、お酒飲まないの?」
「あ……私、ですか……?」
酒も進み演もたけなわといった様子で談笑を交わす男女を尻目に、パッと見で一番若そうな男性が話しかけてきた。
まさか自分が話しかけられるとは思わず、飲んでいたウーロン茶を吹き出しそうになってしまった。
「そうそう、桜野さんで合ってるよね?オレ、総務部で人事担当の江上って言うんだけど」
「は、はあ……」
早口でペラペラと喋るその人の言葉を右から左に流しながら、もう一度ウーロン茶に口を付けようとして、グラスをひょいっと取り上げられた。
「桜野さんも飲もうよ。ほら」
代わりにと差し出されたのは薄黄色でしゅわしゅわと泡立つ液体の入ったジョッキだった。
生ビールとは違うみたいだけど、なんだろうこれ……?
「いえ、あの、私、お酒は……」
急性アルコール中毒、泥酔による悲惨な事故など様々なことを学生時代に教師に教え込まれたためにお酒は怖いという図式が私の中で出来上がっていた。そのため、二十歳を過ぎた今でもアルコールの一滴も口にしたことがない。
今日も一切飲むつもりはないので、どうこの場を切り抜けようか言葉を探す。相手を傷付けずに断る方法はないかと思案していると、唇に冷たいジョッキを押し付けられて私は頬を強ばらせた。
「一口でいいから、飲んでみなよ。案外いけるかもよ?」
などと言いながら握ったジョッキをどんどん傾けてくる江上という男性。私が恐怖で固まっていると、突然江上さんとジョッキが離れていった。
「こらこら江上、可愛いからって妙な絡み方をするんじゃない」
「なんすか部長ー!」
江上さんの首根っこを掴んで男性陣の元に連れ戻した部長と呼ばれた人物。
毛先が少しだけ色素の薄い黒髪と茶色みがかった瞳とそれを縁取る瞼は少したれ目気味だった。パッと見すごく若く見えるけど、笑うとシワが覗く。
「ごめん、桜野さん。悪い奴ではないから許してやって欲しい」
「い、いえ……」
土田さんより十歳程年上だろうか。
人の良さそうなその笑顔をどこかで見たことがある気がして、私はぼんやりとした表情で彼を見つめた。
すると彼も何かに気付いたようにハッと目を見開いて、嬉しそうに顔を綻ばせた。そこで、私は全てを思い出した。