ハニートラップにご用心
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既に日付けが変わり、終電に乗り込もうと走早に通り過ぎていく人の波をぼんやりと眺めながら、私は駅の近くにある、既に本日の営業が終了しシャッターが下ろされたカフェの前に立っていた。
夢中で駆けてきたから、パンプスの底が磨り減っていることにも気付かなかった。改めて立つと、左右でバランスに違和感がある。
私は一体何をしているんだろうか。
自分のパンプスのつま先をじっと見つめていると、眩いライトに全身が包まれてクラクションを鳴らされた。
「さ、千春ちゃん。帰りましょう」
車から下りてきた運転手――私を迎えに来た土田さんが穏やかに微笑んで、私に手を差し伸べてきた。
その見慣れた笑顔に安心感を覚えたのと同時に、後ろめたさも襲ってきて私はその手を取ることはできなかった。
「……何かあったの?千春ちゃん」
そんな私の些細な心境の変化に気が付いたらしい土田さんは困ったように眉を八の字にして、行き場のない差し出した手を下ろした。私はその問いかけに対して首を横に振って、土田さんの車の助手席に乗り込んだ。数秒遅れて、彼も運転席に戻ってくる。
助手席に座ってシートベルトのストラップを引っ張り出して、バックルにはめようとするけど手が震えて上手くできない。金属同士がぶつかる音が虚しく響いて、視界が一瞬霞んだ。カチリと音がしてシートベルトが固定されたのを確認して座席にもたれかかった。
私がしっかりと出発の準備が出来たのを横目で確認した土田さんはふっと目を伏せて、ハンドルを握ってアクセルを踏み込んだ。
「……土田さん」
掠れた声で呼べば、土田さんは視線を正面から逸らすことなく小さく返事をした。