宵の朔に-主さまの気まぐれ-
私の方が先に好きになったのに――

半泣きになりながら足早に部屋を離れた柚葉は、赤い目で忙しそうにしている雪男を呼び止めた。


「あの雪男さん…氷をもらえませんか?」


「ああ、凶姫は熱もあるのか。ほらこれ持って」


水を張った小さな盥を持たされると、雪男がそれに息を吹きかけた。

するとみるみる水は氷に変わり、柚葉はその場に座って小刀で氷を削り始めた。

雪男は立ったまましばらく柚葉を見ていたが、その場に座って今にも泣き出しそうな顔をしている柚葉の頭を撫でた。


「主さまになんか言われたか?」


「…いえ別に。雪男さん、私ここには居られません。こんな…こんな醜い感情のままここに居たくない…」


「…そっか…。柚葉、主さまはさ、滅多に女に話しかけたりしないんだ。でもお前と凶姫にはすごく親しげでさ。それってすごく珍しいことなんだぜ。主さまはお前のことも大切に思ってるよ絶対に」


「そうですか、ありがとうございます」


…あまり響いているようには見えなかったが――雪男が頬をかいていると、柚葉は立ち上がって頭を下げて凶姫の部屋に戻った。

凶姫のことが心配なのは本当だが、そこに朔が居ると話は別だ。

心配そうにしている様を見るのは正直骨が折れる。


「主さま、申し訳ありませんが部屋から出て行って下さい。看病は私がしますから」


「いや、俺がするって約束したから俺が居る間はここに居る。百鬼夜行の間、お前に頼みたい」


「そうですか。じゃあこれ」


氷が入った盥を朔に差し出した柚葉は、朔と目を合わさずふいっと顔を逸らして一度凶姫の手を握った。


「姫様、後でまた来ますね」


「柚葉、ここに居てくれ」


「病人の周りに何人も居るのは良くありません。主さま、姫様を頼みますよ」


「…ん」


寂しそうな表情を見せた朔に、正直いらっとした。


愛情が憎しみに変わる――

鬼族にとって最も恐ろしい恋の病。


それに絡め取られぬよう、柚葉の心は氷のように凍り付いた。
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