宵の朔に-主さまの気まぐれ-
まだ起き上がれない凶姫のために蜜柑の皮を剥いてやっていると、部屋の片隅に敷きっぱなしにされてある床を指して問われた。


「あれは月の?柚葉の?」


「俺の」


「そうなのね。起きた時ひとりじゃないと思うと心強いわ。ありがとう」


強情の時もあれば素直な時もある――朔は口の中に蜜柑を運んでやりながら笑い、身体を動かすたびに痛そうにしている凶姫を見て閃いた。


「そうだ、少し具合が良くなったら傷に効く温泉があるから、そこに連れて行…」


「温泉?私、温泉大好き!」


ぱっと顔を輝かせた凶姫に、朔は一瞬止まって身を乗り出した。


「温泉が…なんだって?」


「だから…大好き。温泉大好き…」


「温泉が?」


「大…好き…」


こいつは何を言わせようとしてるんだという顔で凶姫が首を傾げると、朔は大変満足しましたという笑顔になって体勢を戻して今度は自らが蜜柑を頬張った。


「大好き、ね」


「何よ…温泉が好きじゃいけないの?」


「いいや、俺も好き」


今度は凶姫がどきっとしてそわそわと指を動かしながら口ごもった。


「ふ、ふうん…」


「温泉も好き。戦うのも好き。甘いものも好き。寝るのも好き。食うのも好き。…好きだ」


またどきっとして勘違いしそうになった凶姫は、朔の居る方ではない方に顔の向きを変えてもぞもぞと身体を動かした。


「ちなみに食うのも好き…っていうのは色んな意味があるんだけど」


「べ、別に聞きたくないからいいわ」


「とにかく養生を。ある程度動けるようになったら温泉に連れて行く。秘湯だから誰にも言わないで」


「分かったわ」


朔が部屋から出て行くと、凶姫は頭まで布団を被って悶えた。


「何よ…何よ…!勘違いさせないでよね…!」


遊びではないのか?

朔は自分のことを、好いているのか?


頭がぐるぐるして、また熱が上がりそうになっていた。

そして朔と言えば…


「手強いな…」


燃えていた。
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