宵の朔に-主さまの気まぐれ-
朔は一歩も動かなかった。

腕を組んだまま神速の如き速さで打ち込んできた"渡り”…黄泉を見据えていた。


「おっと」


刀がこすれ合い、火花が散る。

黄泉の一撃を受け止めたのは銀で、久々に手ごたえのある敵と巡り合っていささか興奮しすぎて目をぎらつかせていた。


「ぎん、落ち着け」


「朔よ、俺がやりたいんだが」


「駄目だと言っている。退いていろ」


飛び退った黄泉の手には黒刀が握られていて、あれに斬りつけられてはいけないという警鐘が頭に鳴り響く。

上空から一歩も動かない女のことも気にはなるが、今は目の前の敵に意識を集中させなければ。


「お前はこの国の妖を統べる者らしいな。ではお前をやればこの国は俺のものというわけか」


「そううまくいくか?まずは俺の一撃を受けてみろ」


にこっと笑った朔に虚を突かれた黄泉が一瞬で遅れると、もう目の前には身を屈ませて刀を振り上げた朔が居た。

反射的に上体を逸らしたものの頬には深い切り傷ができて鮮血が溢れる。


宙を蹴って上空に逃れた黄泉は手の甲で頬を拭って自身の血を見つめると――笑った。


「そうか…俺の血はそういえば赤かったな。久々に見た」


「なかなか素早いな。お前を殺さないと凶姫の憂いが晴れない。だからここで死んでもらうぞ」


「ほう、お前…あの女に惚れているのか。だが残念だったなあ、あれのはじめての男は俺だぞ」


――朔がぴくりと眉を上げた。

眼差しには冴え冴えとした光が宿り、それを見た黄泉はさも嬉しそうに邪悪な笑みを浮かべて地上に降りた。


「最初は泣きわめいていたが、徐々に大人しくなったぞ。知りたくば詳細をここで語ってやろう。まず爪で着物を切り裂いて…」


「やめて!やめて!!」


凶姫の悲痛な絶叫が背後から聞こえた。


「…殺す」


言霊が宿る。

その場に居た皆が皆、身震いした。
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