宵の朔に-主さまの気まぐれ-
庭側の縁側を道なりに歩いて行くと、話を聞きつけたのか凶姫と柚葉の姿が在った。

だが限界まで精神を集中させていた朔は彼女たちに目をくれることなく、脇を通り過ぎた。

少し長い黒髪が風になびき、通りすがり様に甘い香りがふたりに届くと、ふたりは頬をほんのり赤く染めて身を寄せ合った。

そして庭にはすでに輝夜が降り立っていた。


「集中してますねえ」


「待たせたか。お前相手に気を抜くことはできないからな」


「いやいや抜いてもらわないと困ります。まだ死にたくありませんから」


「よく言う。お前がまた強くなったのは分かってる。やっぱり俺がもし死んだ時はお前に託すのが最善だな」


「ははは、光栄ですがお断り致します」


輝夜の腰に提げられている刀は無銘だが、長年輝夜の妖気にあてられ続けて妖刀に変化している。

天叢雲のように喋ったりはしないが、戦闘を前に不気味な気を発していて天叢雲が興奮して朔を煽った。


『早くやらせろ。あの小僧の血を吸わせろ。あの刀を折らせろ』


「喚くな。戦闘中喋って俺の気を散らせたらお前を錆びさせてやるぞ」


ごちゃごちゃと内輪もめをしている朔に妖艶に微笑みかけた輝夜は、縁側で目を輝かせている雪男にもにっこり。


「順番ですから座ってお待ちなさい」


「いやいや座ってられるかよ。俺も全力でやりたいんだから早く敗けろよな」


「何故私が敗ける前提なんですか。失礼な」


「待て待て、俺ひとりに全力ふたりって分が悪くないか?」


「それくらいがちょうどいいんです」


妙な理屈をこねられて苦笑した朔は、腹の傷を押さえてみて痛みがないことを確認すると、鞘からすらりと刀身を抜いた。


「さあ、やろうか」


血が騒ぐ。

早く戦え、と身体の奥底から声が聞こえる。


「平穏な暮らしを送るにはまだ早いな」


声の通りに、軽く地を蹴った。
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