宵の朔に-主さまの気まぐれ-
その日、雪男が部屋にやって来て朔が呼んでいると言われた柚葉は、なんとなく何の話をされるのかを悟って身を固くした。


「お嬢さん、兄さんはけじめをつけようとしているんです。お行きなさい」


「…はい」


――想いは若干薄らぐこともあるが、それでもまだ朔を想う気持ちは大きい。

傍に居れば居るほどその想いは増すため早くこの屋敷を出なければいけないのに、朔や凶姫に止められて今まで滞在していたが…


「‟渡り”はいつやって来るんですか?」


「…さあ、そこまでは分かりません」


「そうですか…行って来ます」


はぐらかされたことには気付いていた。

輝夜には話せることと話せないことがあり、無理強いをしてはいけないというのが朔たちの思いやり。

長い廊下を歩き、居間を通って縁側に出ると、朔の部屋の前に座った。


「主さま」


「ん、入って」


…親しげに言われて嬉しくないわけがない。

話の内容はきっと自分が傷つく話だと分かっていながらも障子を開けると、朔はにこっと笑って筆を置いた。


「呼びたてて驚いただろう?ちょっと話があるんだ」


「…はい」


表情の強張る柚葉を目の前に座らせた朔は、‟もしかしたら”から確信へと変わっていた。

この娘は自分を慕ってくれているのだ、と。

今思えば何度も勘違いさせるようなことをしてきた自分がいけないのだということも分かっていた。


「柚葉…俺は凶姫を…芙蓉を嫁にする」


「…はい」


「俺も芙蓉もお前がこの件で気に病むんじゃないかと心配してる。俺たちにとってお前は…救いなんだ」


――救い、と言われて顔を上げた柚葉は、驚きに満ちた表情で朔を見つめた。


「救い…?私に、ですか…?」


「そうだ。俺は肩にのし掛かった重圧をお前に和らげてもらった。芙蓉はお前が居たからこそ遊郭の暮らしに耐えられた。柚葉、お前が大切なんだ」


じわりと目に浮かんだ涙はあっという間に溢れて頬を伝った。

こんなに醜い心を持っている自分を救いだと言ってくれた朔と凶姫に対して、密かにため込んでいた恨みや辛みは――一切消えた。
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