宵の朔に-主さまの気まぐれ-
朔の身体には日に日に生傷が絶えなくなって傷らだけになっていった。

息吹は息子がまるで相手にされず傷だらけになっていく様子を見ていることしかできず、十六夜から一切の手出しを禁じられていた。


「まだかすりもしない…」


「強いよなあ、あの女。いい女だし」


「ふうん、お前は母様一筋だと思ってたけど」


「いい女を褒めるのが男ってもんだろ。おっと」


縁側で雪男と話をしていると、居間に入って来た椿は軽く雪男を一瞥して去らせて朔の隣に座った。


「傷を見せろ。その頬の傷は放っておくと痕が残る。いい男が台無しになるぞ」


「ははっ、今の褒めてくれたんですか?」


返事はなく無視された形になったが、椿が屋敷に来て一か月――大体どんな性格をしているのか分かってきていた朔気にすることなく目を閉じて傷を椿に突き出した。


「どうして師匠はそんなに強いんですか?」


「…強くならざるを得ない事情があった。詳しくは訊くな」


「少しは打ち解けてほしいんですが。俺、体術の才能無いですよね?」


「ない。ないがある程度は強くしてやれる。お前は妖の頂点に立つ男になるんだから、全ての武術を極めておくべきだ。だがまだ私の道着にすら触れられていないな」


「これでも努力してるんです。後ちょっとなんだけど」


鼻を鳴らした椿を薄目でちらっと盗み見ると、ぺちんと額を叩かれたが――傷を塗ってくれた手つきはとても優しく、女と縁のない暮らしをしていた朔にとって椿は興味の対象となっていた。


なまじ女に簡単に手を出してはいけないと息吹から強く強く言い聞かされていた。

十六夜の女関係の話を多方面から聞いていたため朔も慎重になっていた。

それにまだ女を抱いたことがなく、戦いの最中であっても目の前に魅惑的な身体つきの美女が居れば気もそぞろになってしまうものだ。


「なんだ、じろじろ見るな」


「師匠、歳はいくつですか?」


「女に歳の話をするな。殺すぞ」


人差し指で傷を弾かれて悶絶していると、椿はそのまま居間から消えてしまい、朔は縁側でごろんと寝転んで呟いた。


「触る、か…」


触ってみたい、と思った。

そう思ったのは、はじめてだった。
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