宵の朔に-主さまの気まぐれ-
長期戦となった。

そうなれば、男で体力のある朔の方が有利――

椿は傷だらけになり、息も上がって絶え絶え状態でがくりと膝から崩れ落ちた。


「師匠、今日はもうこれで終わりにしましょう。怪我の手当てをしないと」


「…結局お前が全勝だったな。…悪いが話せる体力は残っていない」


「そんなのいいですよ。とりあえず風呂に入って来て下さい。俺は薬箱を取って来ます」


反論する力もないのか、椿はそのまま風呂場に向かい、朔は縁側から様子を見守っていた雪男に歩み寄って手を差し出した。


「薬箱を出してくれ」


「はいよ。もう椿から得るものはなさそうだな」


「…お前は師匠の事情を知っているか?」


雪男は真っ青な目で朔を見つめて首を振り、居間で百鬼夜行の準備をしている十六夜を肩越しに振り返った。


「主さまは知ってるんだろうけど、俺は全然。興味もないし」


「そうか、ならいい」


「おいおい、あんま深追いすんなよ」


「分かってる」


少し時間を置いて自らも風呂に入ってさっぱりした朔は薬箱を持って椿の部屋を訪れて、ぐったりしている椿の隣に座ると掌にできた大きな傷に薬草を塗り込んだ。


「…」


「……」

両者言葉はなく、あんなにも事情を知りがっていた朔も椿に配慮して問い質すことはなかったが――椿自身が切り込んできた。


「訊かないのか」


「ここに滞在している間には話してもらいます。今は傷を癒して下さい」


「はっ、お優しいことだな」


「俺は半分人ですから情があるんですよ。苦しんでいる人や悲しんでいる人が居たら助けてあげなさいと母から言い聞かされて育ってきましたから」


「…いいところの坊ちゃんはこれだから」


そのまま黙り込んだ椿の傷の手当てを行った朔は勝利の褒美として椿を抱くことができたが、それを行使せず立ち上がった。


「後で食事を運ばせます。母が食べてくれないと嘆いていましたから一口くらいは食べて下さい。美味いですよ」


返事をしなかった椿だったが、その後雪男が運んできた食事を前にしてしばらく悩んでいたが、匙を取って卵粥を口にすると――


「なんだ…これは…」


ぽろり、と落ちる涙。

その味はとても温かく、美味しく、涙は止まらず嗚咽が漏れた。
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