宵の朔に-主さまの気まぐれ-
翌日の夜――

椿は雪男の警告も虚しく、朔の腕に抱かれていた。

…これ以上はもう無理だ、と心が悲鳴を上げていた。

朔の態度から察するに、自分は‟師匠”という領域から脱することはできない。

女だと認識していたとしても、自分を見る目は恋している目ではなく、同士を見る目だと分かっていた。


「師匠は子が生めないと言ってましたけど、それでも納得して夫婦になりたいっていう男が居るかも」


「子が生めぬ女など生きている価値はない。…私はそう言われ続けてきた。だからその意見には同意できない」


「そうかなあ。きっとその認識を覆す男が現れますよ」


――つまり。

それはお前ではない、といことだな?


そう言いたいのをぐっと堪えた椿は、朔の頬をぴとぴとと軽く叩いて牙を見せて笑った。


「半人前のお前に説教されたくない。いいか朔、いずれ女がお前を放っておかなくなる。だがお前は次期当主として軽はずみに女を抱いてはいけない。…私にしてみせた技も封印するんだ」


「はい。そこは大丈夫ですよ、母の情操教育がばっちり効いてますから」


真名を呼ぶことを許されてなおいっそう、朔への想いは傾いた。

だが椿自身は真名を明かさず、それを口にされてしまうともう戻れなくなると分かっていた。

…朔に近付く女は全て殺してしまう――そんな狂気がすぐそこまで近付いてきていることにも、気付いていた。


「…明日は用があるから朝の鍛錬は少し遅くなる。それまで身体をゆっくり休めておけ」


「分かりました」


素直に返事をした朔から離れて浴衣を着た椿は、立ち上がるとじっと朔を見つめた。


今生の別れになる。


はじめて愛した男を目に焼き付けるため、首を傾げている朔を穴が開くほど見つめた。


「師匠?」


「…じゃあな」


――その言葉が、椿の最期の言葉となった。
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