宵の朔に-主さまの気まぐれ-
血が滾り、沸騰したかのように身体が熱くなって、全ての動きを止めた。


これは、真名を呼ばれたからなのだろうか?

柚葉に呼ばれたから、こんなに血潮が沸騰するのだろうか?


「もう一度…呼んでもらえますか…?」


「え…い、いいんですか?私に真名を呼ばれるのは嫌だったんじゃ…」


「いいから。もう一度」


どこか痛そうな表情をしている輝夜の腕の中で、柚葉はもう一度その名を呼んだ。


「輝夜…様…」


「……そうか…これがきっと…そうなんですね…」


顔を上げた輝夜の表情がくしゃりと歪んで今にも泣き出しそうで、思わず朔は輝夜に駆け寄って昔よくしていたように――輝夜がどこにも行かないように袖をしっかり握って引っ張った。


「輝夜、行くな」


「兄さん…」


「お前はどうしたいんだ?人々の救済でお前が幸せになれるのか?お前はお前自身の幸せを追い求めるべきなんじゃないのか?」


「ですが…鬼灯の実は…」


「その話はいい。お前の気持ちを聞いているんだ。輝夜、こっちを見ろ」


柚葉がそっと離れ、朔は輝夜の背中に手をあててひたとその目を見据えた。


「お前は、どうしたい?」


「私…は……」


――ここに居たい。

もう駆け回る生活は嫌だ。

ここで朔たちと共にのんびり過ごし、朔をよく助けてその双肩に背負っている務めを少しでも軽くしてやりたい――


そして、この可憐な娘の傍で――


「私は…ここに居たい」


「輝夜…!」


「本当は辛いんです。本当は楽になりたくて、この身に欠けているものなんてもう手に入らなくていいから兄さんの傍に居たい…ずっとそう思っているんです。ずっとずっと、自分を騙してきたけれど…もう…もう限界かもしれない」


「鬼灯様、ここに居て下さい!」


「輝夜、どうすればお前は楽になれるんだ?誰に願えばそれは叶う?」


聞こえていますか?

もう欠けているものなど要らないから、私の願いを叶えて下さい。


私はここに戻って、ここで暮らしたい。

ここで、生きていきたい――


「聞こえたぞ、輝夜」


空が眩い閃光を放った。

その静かな声は、空から降ってきた。
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