宵の朔に-主さまの気まぐれ-
「ああ…あの娘か。ここにもよく来てたから俺も知ってる。急に来なくなって心配したよな」


「俺もよく分からないままなんだ。つまり振られたということか?」


「主さまを振る女なんて居るのか?やんごとなき事情でもあって来れなくなったんだろ。つーか主さまが本気で探そうと思えば探せるだろ?」


「去る者は追わない主義だ。…だがひと時優しい時間を過ごした気がする」


百鬼夜行の主として重圧や重責がなかったわけではない。

だが長男として沢山の弟妹たちの見本となり、求められているものを示し続けた結果、疲れ果てたこともあった。

荒みかけたその心を癒した、あの娘――


「そっか。確か鬼族のいいとこのお嬢さんだったよな?生家は分かってるんだからかっこつけずに会いに行けばいいのに」


「そう簡単なことじゃない。俺がそうすれば妻として迎えるんだと思われるだろう。…それは俺だけじゃなく、彼女の重圧にもなりかねなかった。…この話、やめないか?」


朔の少しほの暗い過去話に頬をかいた雪男は、朔の隣に同じように寝転んでつつじを眺める。


「お前はお祖母様の話をどう思う?一度会いに行けばいいと思うか?」


「主さまはどう思うんだよ」


「それで納得するなら一度で終わらせる。お前もついて来い」


「まあそれはいいけどさ。…周様、俺に絡んでくるから怖い…」


朔がようやく笑い、安心した雪男は勢いをつけて起き上がると居間の机に置いてあった紙と筆を手ににっこり。


「じゃあこれ。善は急げだ」


雪男のお節介に顔をしかめたが、一度でいいならばとため息をつきながら筆を受け取り、机に向かった。


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