宵の朔に-主さまの気まぐれ-
あの半ば焼け落ちた遊郭から救出された時は茫然自失の状態で意識も失いかけていた。

だからその後遊郭がどうなったかも正直今まで考えたことがなかったが――


「何の用事なの?」


「金を支払いに」


「お金?何の……あ…まさか…身請けの…!?」


「うん、それも含めて。遊郭の再建費用と、一旦は断られたんだけど俺の気が済まないから、お前と柚葉の身請け代を届けに行ってもらったんだ」


――それはそれはもう考えられないほどの莫大な費用だ。

遊郭で稼いだ金は自らの懐に入ることはなく、あそこで生涯を終えるものと思っていた。

身請け代とはそれほどまでに莫大な額が設定されており、遊郭の中での立場が高ければ高いほど目の飛び出るような金額になっている。

朔はそれを支払った、と何の気なしに言ったのだ。


「そ、そんな…あなたにそんな迷惑をかけられないわ…」


「俺は坊ちゃんだから大抵のことは許される。だけど今回のはさすがにすごい金額だった」


朔は笑ってそう言ったが、凶姫は朔の袖を掴んで身を乗り出した。


「駄目よ!あなたには何の義理もないじゃない!すごい金額だったんでしょ?私、どんなに時間がかかってもあなたにちゃんと返すから…」


「いや、返してくれなくてもいいからどれかひとつ選んでくれないか」


妙な提案をされて凶姫が眉を潜めると、朔はとびきりの笑顔で凶姫の眼前で三本指を立てて一本ずつ折っていった。


「ひとつ。真名を俺に教える。ふたつ。俺の真名を呼ぶ。みっつ。俺が触っても怒らない。さ、どれか選んでもらおうか」




……ぽかんとした凶姫は、座ったままずりずり後退しながらどもりまくった。


「な、な、な、なんでそんな…全部いやよ!」


「じゃあ返せるのか?」


「う…それは…どう考えても無理…」


「じゃあどれか選んで」


…真名は明かせない。

そして朔の真名も本人が望んでいるとはいえ口にはしたくない。

そうなれば最終的に残ったものは――
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