宵の朔に-主さまの気まぐれ-
部屋に戻った柚葉は、晴明に貰った薬を飲んで床に横になった。

あの時朔は少し驚いた顔をしていて、自分が避けてしまったことに気付いたかもしれない――

だがそれはどうしようもなく、期待をしてしまう自分もいやだし、とにかく逃げたかった。


…血を見るのが怖かった。

血を見るだけで足が震えてしまう性根の弱さを恥じていたが、凶姫の前に“渡り”が現れた時何故か足が前へ前へ出て立ちはだかったこと、今でも不思議に思う。


そして負った傷は決して軽症ではなかったが晴明の薬のおかげで痛みは和らぎ、そして薬の効果でうとうとしていると、朔がひょこっと顔を出した。


「!主さま…」


起き上がろうとすると朔はそれを手を軽く挙げて制して柚葉にとあるものを見せた。


「あ、それ…」


「これ、お前が置いて行ったものなんだ。捨てずに保管しておいてよかった」


朔が手にしていたのはここを逃げ出す前に繕っていた着物で、ほぼ完成していたのだがとっくに捨てられていると思っていたのに――


「捨てて良かったのに」


「そういうわけにはいかない。ちなみにお前が繕ってくれた羽織も現役だぞ」


朔が隣に座ると柚葉は目を合わせないように目を閉じて少し微笑んだ。


この器用さのおかげで遊郭に居る間客を取らずに済んだ。

遊郭の店主は高値で売れる着物のおかげで着物を沢山繕えるように専念させてくれた。


「この手のおかげで客を取らずに済みました」


「…そうだな。お前が傷つかずに済んで良かった」


自嘲気味に微笑むと――その手を朔がそっと握って来て思わず目を開けた柚葉は、少し寂しそうに微笑んでいる朔と目が合って胸がきゅうっと痛んだ。


「…主さま?」


「どこにも行かないでくれ」


「…あなたには姫様が居るじゃないですか」


「それとこれとは別だ。柚葉、お前にはここに居てほしい。それとも…俺が嫌いか?」


――魂を賭しても、それはあり得ない。

首を振ると心底ほっとした顔をした朔にまた期待しそうになって目を閉じた。


「良かった」


「…」


返事をせずにいると今度は本当に睡魔がやって来て眠りに落ちる。

朔はしばらくの間そのたおやかな手を握っていた。


柚葉の憂いが何なのか――まだ気づけずにいたけれど。
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