リボンと王子様
大学を卒業した私が新入社員として働き出してすぐ。

叔父様が病に倒れた。



長年の無理が祟った分もあるということで、一時期は連日のように役員会や会議が開かれ、大変な騒ぎだった。

お客様や取引先、株主の皆様、社員、多くの人が不安に苛まされた。

誰が社長になるのか、どう人事を動かすのか、関係者にはどう説明するのかと世間の注目も集まっていた。



そんな中。



公恵叔母さんは何よりも叔父様の体調と意思を尊重していた。

勿論、須崎株式会社のお客様の信頼を守ることも。

公恵叔母さん自身も多忙なうえに、憔悴していたけれど、その信念は揺らがなかった。



後に、あの時はとにかくなりふり構わずだったわ、と自嘲気味に話してくれたけれど。

公恵叔母さんも必死だったと思う。

入社したてのまだ学生気分の抜けていない私は全く役には立たず、何もできず、ただの傍観者のようだった。


無論、瑞希くん、樹くんの心痛も大きかったと思う。

その渦中にいたのだから。

他社で働いていた瑞希くんが戻って来ることが妥当と殆どの人は思っていた。


けれども。

そうはならなかった。

療養を重ねれば、叔父様は復帰がかないそうで、何よりも叔父様も公恵叔母さんも瑞希くんにこんな形で会社を預けることが不本意だと考えていたから。

そのため、近い将来、瑞希くんが社長になるまでの期間、公恵叔母さんが社長に就任することになった。

公恵叔母さん自身は役職、いわゆる肩書きは何も持っていなかったけれど、ずっと会社には関わってきたし、何よりもフェアリーの産みの親でもある。

その実績は明らかで、最初は異論を唱えていた人々も最終的には納得した。

叔父様は会長に就任し、公恵叔母さんを支えることになった。
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