アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


 そっと改めて真正面から、その寝顔を見下ろす。
 本当に眠っているみたいに安らかに、その生涯を閉じた器。
 魂はいま、どこに在るのだろう。
 まだ近くで見ていてくれているのだろうか。
 届くのだろうか。
 最期の言葉は。

「…守ってくれて、ありがとう。ジャスパー。もらったものは、いつかきっと返しにいく。それまで待ってて。きっと、そこは。夢のように美しいところだから」

 その額にそっと口づけをして、あたしが体を離すのと同時に、周りに並んでいた海賊たちがすらりと腰元の剣を抜き、空に掲げた。
 破魔の剣がジャスパーを送り出す道をつくる。
 辺りはもう薄暗く、夕日は水平線の彼方。
 クオンが魔法で作り出す青い灯(ひ)だけが、辺りの海を明るく照らしていた。
 最後までちゃんと、見送る為に。

 最期のとき。
 イリヤが小さく、歌をうたった。
 惜別の歌。そして祈りの歌。
 どこからともなく啜り泣く声。

 腕力のある船員たちが、四人がかりで小舟を担ぎ上げる。
 それから用意してあったロープを小舟の前方と後方に括り、船を海へと下ろしていった。
 あたしは甲板の手摺のギリギリまで身を乗り出し、じっとそれを見つめていた。

 ゆっくりと、ジャスパーが。
 遠ざかっていく。
 その顔が、見えなくなって。
 無意識にあたしは手摺を掴んでいた腕に力を込めた。
 そして手を伸ばしていた。

 いかないで。
 
 小さく、そう呟いたのと同時に、視界が傾く。
 落ちる、そう思った。
 それでも体は動かなかった。
 そんなあたしを後ろから抱き留めたのはクオンだった。
 ぐ、と。その腕に力が篭る。
 あたしはそれでもただまっすぐ。ジャスパーの行先を見つめていた。

 絶望と希望を乗せた小さな船が遠ざかり、その姿が小さくなり、やがて渦に呑みこまれていくまで、ずっと。
 零れる涙もそのままに、瞬きもせず。
 見えなくなるまでずっと見ていた。
 
 それを見届けてから、船長の一言で船は港へと引き返す。
 空には綺麗な月が出ていた。


 来た時より幾分かゆっくりと、船は港へと帰り着いた。
 揺れが止まるのを感じて、終わったんだな、と。ぽつりと思う。
 レイズが用意してくれた自室のベッドで横になっていたあたしは、それを感じて瞑っていた瞼を持ち上げる。

 これから先、どうするのか。決めるべきことはたくさんある。だけど心が追い付かない。
 とりあえず体を起こそうと腹に力を入れた時、あまりの激痛に思わず再びベッドに倒れ込む。
 油断していた。忘れていた。薬はとうに切れたんだった。
 今度は極力ゆっくりと、体を持ち上げる。
 それから長く息を吐いた。

 その時。
 ざわりと、船内の空気が変わるのが分かった。
 別れを終えたばかりの静謐(せいひつ)な空気が、徐々に不穏を孕(はら)んだものになる。

 どうしたんだろう。
 扉へと視線を向けて、それから思案する。
 少しの間を置いて、いくつかの靴音が向かってくるのが聞こえた。
 扉の前でぴたりとそれが止まる。

「――マオ。居るか」

 扉の向こうから、レイズの声。
 やけに緊迫した声音。なにかあったのか。思わず心臓がはやくなる。

「いるよ、どうしたの?」

 立ち上がるのと同時に、返事を受けて扉が勢いよく開けられる。
 そこには真剣な面持ちのレイズと、その後ろにはクオンも居た。
 だけど暗闇に溶けたその表情はよく見えない。
 
「…お前に、客だ」
「…客…?」

 低く、レイズが言い放つ。
 警戒感を顕わにしたような、獣のような目。
 一体、誰が。

 戸惑うあたしとの距離をあっという間に縮めたレイズが、あたしの体を力いっぱい抱きしめた。
 驚いて動けずにいると、耳元にレイズの唇が触れる。
 小さく、あたしにしか聴こえないように。
 レイズがささやく。だけど強い意思を持って。

「いいか、マオ。お前が嫌だといえば、拒否すれば。お前を渡したりしない。絶対に。相手が、誰であろうと…俺が必ず守る」

 それだけを言ったレイズが、さっと体を離してあたしの手をひく。
 それからクオンと一瞬目を合わせ、無言でその隣りを横切った。
 
 わけも分からず腕をひかれながら甲板を突き進んでそこに。
 夜空に浮かぶ灯の下、ふたつの人影があった。
 ふたりともフードを目深に被り、こちらの気配に振り返る。
 そしてその内のひとりが、そのフードを下ろした。

 その姿に思わず息を呑む。
 そこに、居たのは。


「…シア……!」


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